「フィリピン慰霊巡拝旅行」 当協会理事長

 本年2月末、当協会はフィリピン慰霊巡拝ツアーを行いました。フィリピンは、特攻隊発祥の地であります。当協会理事長の慰霊巡拝記を掲載します。

 当協会は昨年南九州にある陸海軍特攻機の発進した基地別にその慰霊施設の巡拝を実施した。現地の関係者も多数出迎えて下さり、色々特攻出撃にまつわる説明などを伺い大変感銘深い旅行であった。今年は特攻が発動された現地を訪ね慰霊巡拝をいたしたいとの議が興り2月20日より27日に至る8日間、フィリピンを訪問することになった。 参加者は総勢19名海軍関係者6名、陸軍関係者10名(内ご遺族2名)、旧軍には関係の無かった方3名であった。

成田よりマニラへ、直ぐ国内線に乗り継ぎネグロス島パゴロドに飛んだ。ネグロス島に3泊、セブ島に1泊、レイテ島に1泊、ルソン島(マニラ)に2泊、計7泊8日の旅であった。

昭和19年10月20日レイテ島タクロバンにマッカーサー率いる連合軍が大挙上陸反撃して来た。この大船団を攻撃するため先ず航空機による特別攻撃が敢行され、海軍の関大尉率いる神風特攻隊がマバラカットより発進した。レイテより近いネグロス島に主として陸軍航空部隊が展開し、海軍は主としてセブ゙島に展開し、レイテ方面に対し肉弾攻撃が実施された。

 今回慰霊祭を行った処は、ネグロス島にて3ヶ所、セブ島2ヶ所、セブよりレイテ島のオルモックに行く高速艇上にて洋上慰霊祭、レイテ島にて4ヶ所、ルソン島に戻って3ヶ所慰霊巡拝を行った。

1.慰霊祭について

慰霊祭の行事は陸士56期の岡林龍之氏とネグロス、アヒサム会の会長である田頭洋子女史2名にお膳立てから司会進行まで大変お世話になった。誠に配慮の行き届いたご準備で、フィリピン国旗と日本国旗それに海軍旗、関係部隊名等を吊るし祭壇を設けて、テープの伴奏で先ずフィリピン国歌を斉唱したので集まって来た現地の人々にも、側で仕事をしていた人も手を胸に当て一緒に奉唱してくれた。もとより次に国歌「君が代」を声高らかに奉唱、続いて特攻平和観音経をあげ、これもフィリピンの人にも解るように英訳して奉読するなど大変気をつかった挙であった。日本人のフィリピンでの戦死者は45万を超える多数であったが、フィリピン人の犠牲者はその倍以上の120万の方が亡くなっていると聞き思わず全戦争犠牲者の霊の冥福を祈った。岐阜から参加下さった板津忠正さんは大変信仰心厚く般若心経を空んじて毎回あげていただいた。

2.諸施設が現地の方々の手で

(1) ファブリカの慰霊碑の再建
昨年お参りした時には碑の裏側が壊されて大穴があいていた。建立の関係者がみっともないので昨年10月サガイ市長に面接、碑の撤去を申し入れたところ、市長は日比両国の慰霊碑である、私共の方で新築すると申し出られ、今回お参りしましたら立派に修復されていたので感激した。

(2) 関大尉発進の地
マバラカットの飛行場はピナツボ火山の大爆発で2メートル余の火山灰で埋れ、その上は砂糖黍畑となってその上に標示の看板が建っていたが、マバラカットの市の予算で、ある程度まで掘 り起こして鳥居を作り、三面高い屏をめぐらし、正面には大きな軍艦旗とフィリピン国旗が飾られ、中央に慰霊像が立つ由。これも総てフィリピン人の手で作られている。

(3) 海軍第一航空艦隊司令部の跡
マバラカットのサントスさんの家には大きな看板が出ており、英文で大西中将と幕僚の作戦会議が行われた処と書かれて保存されている。関大尉もここで初めて特攻の話を聞かせられた。
以上の様にフィリピンの方々の手で諸施設が出来ているのには全く頭が下がった。これも特攻隊の勇士は真の英雄である。国のため、社会のため己の命を捧げられたこの方々こそ真に人類の英雄であるとフィリピンの方々に強烈な感動を与えているためだと痛感した。

3.洋上慰霊祭

セブ島よりレイテ島の東のオルモックまで高速艇で約2時間30分、このレイテ湾一面は日本の軍艦武蔵を初め多数の艦船が撃沈され又、特攻機も敵の艦船を求めて体当たり攻撃が行われ何千何万と言う日本兵がこの海底に眠っている。何とか高速艇の上で慰霊行事を行いたいと思っていたが、前年来た人も船外には危なくて出してもらえなかったと聞き、如何したものかと案じておったが、船長は大変理解のある人で立入禁止の甲板上に19名全員出てよろしいと言うことになり、大穂さんのご準備下さった菊の花を全員いただいて、葬送のラッパに合わせて洋上に献花した。その時ラッパに合わせて船長は「ボオー」と3回どらを鳴らしてくれ全く感激した。深川氏と戸田氏ほこの海で亡くなった同期生40名の名を記し、それを読み上げ最後に刻んで洋上に散布していた。又、大穂さんを始め何人かの人は手摺につかまり下を向いて涙している姿も見られ、陸上での慰霊祭とは又違った感慨に打たれた。

4.団員の模様

一同皆気持の良い方ばかりで和やかな慰霊の旅が出来た。特に最先輩の陸士52期医学博士の岩崎禮三さんはどんな方かと思っておったが、案に相違して実に明るくよくお酒もたしなみ、又よく歌も歌われ一同の気持を和らげてくださった。ローカル線のセブ航空では機内でカラオケ大会が行われたが、いち早く岩崎さんが立ち上がりなかなか上手に歌われ賞を貰われた。

5.オイスカの活動について

貴重な時間をさいて一日がかりでカンラオン迄何故行ったかとの疑問があった。
かってフィリピンより陸士に留学した方で経済大臣まで努めたスジプト氏が私に、日本より来て自分の部隊の激戦のあった所にあっちこっち沢山の慰霊碑を立てるが、その気持はよく解る。
けれど後誰がお守りするのか。もうこれ以上慰霊碑は建てないでほしい。若し建てるなら国と国が、或いは自治体と話し合い集約したものを建てるべきだ。それよりも日比親善の病院を建ててほしい。フィリピン人も喜ぶし、戦死者もどれ程喜ぶか知れないと言われた。
もとより慰霊祭も大事だが、その国の人々の為になる事業をするということが、その国の為に戦った英霊の真の慰霊になる。この考えで、財団法人オイスカがフィリピンに於いて現地の若人を教育し、農業、林業、製糸業、牧畜業等素晴しい事業、教育をしているかを視察した次第です。
特にカンラオンでは、向うが見えぬほど広大な荒地を開墾し、すばらしいコシヒカリの稲作をしていいる。その模範農場とバコにある桑畑から養蚕製糸迄を現地の青年に教え生産をしているバゴセンターを視察し、渡辺所長ご夫妻に大変美味なフィリピン産コシヒカリで昼夜ご馳走になりました。厚く厚く御礼申し上げます。

以上順序不同で思いつくままに申し述べましたが、其の他種々と感銘深い慰霊巡拝を致すことが出来ました。

以上

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