最後の荒鷲之碑慰霊祭に参列して

当協会 理事長

  1. 平成21年度第35回荒鷲之碑慰霊祭が、平成21年4月11日(土)元熊谷陸軍飛行学校跡(現航空自衛隊熊谷基地)で行われた。同碑奉賛会関利雄会長からのご案内をいただき、協会から、臼田智子理事、倉形桃代評議員等と理事長の藤田が参列した。
  2. 私にとって、この慰霊祭参列は初めてであった。私事であるが、高知から上京してきた少飛14期生の長兄(藤田典正)と一緒に参加できた特別の参拝であった。大正生まれの長兄は、85歳で腰も曲がって杖を突いているが、今回が最後の慰霊祭になるということで、高知にいるもう一人の同期生、一柳逸男氏と共に、当日の朝、東京着の夜行高速バスで上京、慰霊祭に参列したものである。年齢も離れており、今まで全く別の世界で生きてきた私達兄弟にとって、生涯で初めて人生がクロスした感慨深い慰霊祭であった。
  3. この慰霊祭は、(旧)熊谷陸軍飛行学校荒鷲之碑奉賛会と航空自衛隊熊谷基地との共催により実施されてきたものである。参列者は、ご遺族等約60名、戦友等約160名、ご来賓も小島敏男衆議院議員他、地元出身の国会議員やそのOBである増田敏男先生など、富岡清熊谷市市長、川本宣彦埼玉防衛協会会長、安城正明事務局長など10余名、更にまた、航空自衛隊熊谷基地からは、基地司令の國分雅宏空将補以下基地内の主要幹部15名などと、例年以上の多数の参列者を得て、式典は盛大に執り行われた。

    当日は、春の好天に恵まれ、陽射しが強かった。基地の中は、開花後の気温変化によってこの日まで咲き残ってくれていた桜の老木の花吹雪が風に舞っていた。全国からの参列者の下、航空自衛隊熊谷基地隊員によって行事の全体が執行された。今までに、数々の慰霊祭等に参列したが、地元の部隊が中心になって司会進行等を実行する慰霊祭は、私にとって初めてであり、新鮮であった。今後の戦没者慰霊祭をどのような形で引き継いでいけばよいかを考えていく上に、一つの雛形となるやり方ではないかと感じた次第である。現役自衛官に、感謝したい気持で一杯になった。
  4. 駅からの送迎バスの運行、隊門から慰霊碑までの誘導案内、会場の受付、待機場所、テント、椅子の設営、PXの休日臨時開店、懇親会場の準備、案内、接待に至るまで、休日にもかかわらず、隊員が全ての支援をしてくれていた。その隊員たちの顔付きは、皆、明るかった。
  5. 休日に特別オープンしてくれた売店では、様々な記念になるグッズが人気を呼んでいたが、中でも熊谷基地が昭和十年に開隊された時に作られて以来のご縁のある清酒「空の華」が販売されていて、売り切れるほど人気があった。美味しかったので、私も、五本ほど入手した。
  6. 懇親会では、各出身の期生会毎の席が設けられ、再会を祝しあうと共に、最後の別れを惜しんでいるようであった。私は、来賓席から、幾度か長兄のいる少飛14期生のテーブルに顔を出したが、その中に、旧知の方たちが数人居られて、お互いにご縁に驚かされた次第である。
  7. また、その懇親会の席上で、臼田智子理事他の皆さんが、旧陸軍桶川飛行学校の跡地保存活動の紹介をされ、協力を訴えられた。
  8. 今回の慰霊祭が、荒鷲之碑奉賛会が主催する最後の慰霊祭であった。このため、受付において、記念写真帳が配布された。その最後に、関利雄会長の編集後記として、下記の挨拶が載せられていた。私達の協会は、今後このようなお気持を受け継いで、慰霊の活動を続けいかなければならないと決意を新たにした次第である。
  9. 『ここ熊谷飛行学校からは十年あまりの間に、約一万人の操縦者達が巣立ち、遠く南溟の果てに、はたまた北辺の地に、祖国の繁栄と民族の安泰を信じつつ身を挺して勇戦奮闘し、赫々たる武勲を残しましたが、その多くは従容と身を鴻毛の軽きにおき、国を護るは武人の栄誉と、莞爾として雲流るる果てに、或いは大海原の彼方に紅蓮の炎となって散華されて逝きました。
    私達は、これらの人々のため永遠に慰霊の誠を捧げるべきですが、我々世話人を含めた当慰霊祭に参加されるご遺族も年々高齢化して、誠に残念ではありますが、組織だった慰霊は、今回を最後に終らせて頂くことになりました。』
  10. なお、最後に、航空自衛隊熊谷基地司令國分将補から、「来年からは、四月第一日曜日に、航空自衛隊で慰霊祭を実施していく。当日の有志の参加は歓迎する。」旨の発言があり、嬉しくかつ心強く感じた。

以上

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