京都霊山護國神社に「あゝ特攻」勇士之像建立

(公財)特攻隊戦没者慰霊顕彰会
事務局長 羽渕 徹也

桜の満開の時期も終わり新緑の鮮やかな時期となったGWの最初の日でもある平成24年4月28日(土)に京都霊山(りょうぜん)護國神社に「あゝ特攻」勇士之像が建立されることとなり、当護國神社春季例大祭の日に合せてその終了後、除幕式が引き続き行われた。

当顕彰会からは、藤田幸生専務理事と私が参列した。この京都霊山護國神社は、明治元年5月に明治天皇から維新で倒れた志士を奉祀するため創建せよとの御沙汰が発せられ、これに感激した公家や各諸藩が相計らい京都の霊山山頂に神社を創建したのが始まりであり、日本初の招魂社となっている。京都東山の麓にある護國神社の境内には、寺田屋事件で有名な坂本龍馬、中岡慎太郎、桂小五郎等の幕末の志士1,356柱及び明治以降の戦没者約7万3千柱、そして靖國神社に祀られているのと同様の立派な「パール判事顕彰碑」も境内に設置されている。現在の京都霊山護國神社の木村隆比古宮司は全国護國神社宮司の中で最も若い宮司さんであり、今回「特攻勇士之像」の建立奉納に当たっては当顕彰会の藤田専務理事と昨年の夏頃から電話やメール等で詳細な調整が行われこの日の建立の運びとなったものである。

この「特攻勇士之像」の建立奉納事業は公益財団法人である当顕彰会の大きな公益目的事業の一つであり、平成19年4月13日に福井県護國神社に第1号が建立奉納されて爾来今回が11体目の建立奉納となった。当日は晴天に恵まれ、今回の建立奉納に協力頂いた「昭和の杜友の会」「関西白鴎遺族会」の他、100名以上もの戦友やご遺族の方々が参列されていた。午前11時から京都霊山護國神社の春季例大祭が催行され、「あゝ特攻」勇士之像除幕式に出られる殆んどの方々はこの春季例霊大祭にも参列されており、午後12時30分から引き続き行われた「あゝ特攻」勇士之像の除幕式は全員が境内拝殿から20数メートル離れた場所にある特攻像の前に移動して行われる事になった。参列者の代表が特攻像前に着座してから木村宮司による修祓の儀が行われた後、昭和の杜友の会植田喜裕会長、当顕彰会藤田幸生専務理事そして遺族代表者2名の4名によるテープカットに引続き、引き綱により幕が下ろされ燦然と輝く「あゝ特攻」勇士之像が参列者の前に姿を現し、参集していた方々も偉大な凛々しい像の姿に深く感動されたのか手を合わせて拝んでいる方が多くおられた。

その後、代表参列者により新設された特攻像に献花が行われた。この「あゝ特攻」勇士之像を奉納した当顕彰会として藤田専務理事が顕彰会の紹介及び事業について説明され、「長くなりますが」と前置きの上で前号会報91号(P10~P12)に掲載された「これからの特攻隊戦没者慰霊顕彰について」の概要を説明された。(後日、京都霊山護國神社のブログに「藤田様のご挨拶が非常に素晴らしかった」としてスピーチの要旨が掲載されています。)除幕式の最後は、像横の近接する「近畿特操会の碑」をバックにして、奄美大島出身である男女アコーステックユニット「nana」による手話を交えての奉納歌『天人菊の丘』がしんみりと三線のメロディーに合わせて歌われた。「・・・帰らぬ人を 待ち続けて 風に静かに 揺れる天人菊・・・」という歌詞部分などもあり涙を流しながら聞いている方も多くおられた。この奉納歌の演奏でもって京都霊山護國神社における「あゝ特攻」勇士之像の除幕式は帯りなく終了した。

その後は、3~4人毎タクシーに分乗し懇親会が実施される京都駅南口の新都ホテルに移動した。懇親会では、関西白鴎遺族会の山田正克会長が司会進行を勤められ、昭和の杜友の会植田喜裕会長により開会の挨拶と特攻像横の副碑分(別掲)の紹介、京都霊山護國神社木村宮司の挨拶、元気な遺族、戦友の方々による「同期の桜」の歌声もあり、また、除幕式時に像の前で演奏歌を実施された「nana」により再度『天人菊の丘』が演じられた。懇親会においては、初めてお目に掛かる方が多かったために名刺交換に終始することが多かったが、和気藹々とした懇親会の雰囲気の中にあって、国の義務である戦没者の慰霊顕彰が十分でない事を嘆く、現状日本の再生を憂うなどの声が多く聞かれました。今後とも、当顕彰会含め協力団体や参加者による慰霊顕彰事業の継続をお互いに確かめ合うことができた懇親会になったように感じた。中でも、特に司会を勤められた山田正克会長の関西白鴎遺族会は、終戦直後の昭和21年11月に未だ混乱が続く焦土東京・築地本願寺においてMPに取り囲まれた中で、第一回の慰霊法要を行って爾来、昭和27年に社団法人「白鴎遺族会」となり海軍飛行予備学生・生徒各期の遺族等が中心となり百回を超える春秋の慰霊祭を靖國神社で実施していたが、平成8年5月に全国組織の社団法人を解散して、13の地域に分けて慰霊事業を継承している団体の一つである。

(碑 文)
あゝ特攻勇士之碑
昭和二十年八月十五日の終戦の日から月日は経過してきた この間、我が国は国民のたゆまぬ努力により、幾多の苦難を乗り越えて世界が驚異の目を向けるまでの復興を為し遂げ、今や世界有数の経済大国として、揺るぎない地位を築き、平和と繁栄を謳歌するまでに至った しかし、この平和と繁栄は、先の大戦における数百万人もの戦死・戦病者をはじめ、数多の国民の犠牲の上に立っていることを忘れてはならない とりわけ、大東亜戦争末期において、日に日に厳しくなる戦局の好転を期し愛する家族の待つ祖国の悠久の平和と最後の勝利を信じ、その礎たらんと二十歳前後の若者が一機一艇で敵艦に体当りする歴史に例のない必死の特別攻撃の任に就き、遠く南海の空や海に散華した 彼等の崇高なる精神と遺徳は、永く後世に伝えられるべきものである 彼らが身命に代えて守ろうとしたものは何か、この像は今を生きる私たちに問いかけている
平成二十四年四月二十八日
昭和の杜友の会 会長
京都府会議員
植田 喜裕

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