回天に沈められた米艦の戦友会

(会報第56号より)

 人間魚雷「回天」に撃沈された米国軍艦の戦友会が現在なお活動を続けるとともに、戦没者を追憶する慰霊祭を盛大に執行している。そして敵方であった我々に、彼らは意外に思えるほど好感を持っている。

戦例 (1)

終戦間近かの昭和20年7月24日、沖縄東方の洋上で回天特別攻撃隊「多聞隊」の伊号第五三潜水艦から兵学校73期の勝山淳中尉(没後少佐)搭乗の回天がただ一基、発進した。回天は米軍輸送船団を指揮して航行中の護衛駆逐艦「アンダーヒル」に命中、撃沈した。
艦長以下112名が戦死、救助された乗員116名は戦友会を結成し、慰霊祭を年々、同艦戦没の日に合わせて開催を続けている。場所は首都ワシントンに近いアナポリスにある米国海軍兵学校の教会である。米国海軍は二百年の歴史をもつが、この学校の構内で慰霊祭の執行を許されているのはアンダーヒルの遺族、戦友だけであるという。この艦に米海軍は破格の待遇を与えている。
このとき戦死した乗組機関兵曹長の子息ヘンリー・ロード氏は戦闘状況を詳しく調査した結果、親の仇である筈の日本人、日本という国に好意を抱き、来日して茨城県那珂郡にある勝山少佐の実家を訪ね墓参した。
平成12年9月のその日、少佐の弟妹ほか親族が集まり、同期生の元回天搭乗員や伊五三潜の航海長も加わって「昭和20年7月24日を偲ぶ会」が開催された。故・勝山少佐とアンダーヒルの戦没乗員を偲ぶ懇談の会合である。以後ロード氏は来日の都度、親族たちと会って親交を深めている。
勝山少佐の甥・小野正美氏が中心になって同戦友会の各人との情報、連絡に当った。双方の意思疎通が急速に進展したのは、近年普及したメール通信に負うところが大きいが、この戦闘の経過、意義の探究を通じて双方の間に育まれた親近感「最善を尽くして堂々と戦う者は、敵味方を問わず尊敬する」という軍人同士の共感があると思われる。
このほど小野氏から、米海軍兵学校の教会前で記念撮影をしたアンダーヒル戦友会約60人の参列者の写真が財団に提供された。

戦例 (2)

昭和19年11月20日、回天特別攻撃隊の第一陣「菊水隊」が西カロリン諸島の米軍前進基地ウルシー泊地を攻撃、米艦「ミシシネワ」に命中した。同艦は爆発し長時間燃えつづけたのちに沈んだ。米海軍の最新、且つ最大型の艦隊随伴油送艦であった。全乗員298名中50名が戦死、92名負傷。燃えさかる火炎と海面に広がる重油のなかから無事に救助されたのは156名であった。その生存者たちによる戦友会が現在も盛んな活動を続けており、新旧の写真を収めた立派な会誌を発行、また年々全米各地で戦友会を開催している。
同戦友会の運動により、2年前に米国海軍の潜水艦がウルシー環礁内を調査し、同艦終焉の地点、状態を確認、それによりミクロネシア連邦政庁は海中に在る同艦の周辺を「聖なる墓域」に指定し、一般人の潜水、立ち入りを法令で禁止した。今春、同艦内に残る積荷燃料油の抜き取り作業を米海軍の大型救難船が開始したが、そのあと沈没状況の精密な調査を進める計画がある。
本年の戦友会は7月23日より米国北東岸ロングアイランド州のプロビデンス市で開催される。周辺の海軍関係施設や記念艦の戦艦マサチューセッツほか各種軍艦の見学旅行を兼ねる5日間の充実した会合になるであろう。当全国回天会にも案内状が来たが、日本から遥々参加する有志がいるので我々の代理を兼ねて貰うよう依頼したい。
乗員の子息マイク・メイヤー氏はこの戦友会の幹事であるが、父と同様に大の親日家になり、第二次大戦の戦史をミシシネワを軸に記述を進めてきた。回天作戦全般についても、日米の関係者と緊密な連絡をとって詳しく調査し、新しい資料を数多く発掘した。近日、信頼度の高い戦史書として米海軍研究所から刊行される予定である。

戦例 (3)

回天特別攻撃隊「多聞隊」の伊号第五八潜水艦は米重巡「インディアナポリス」を昭和20年7月30日未明、魚雷攻撃で撃沈した。同米艦は二発の原爆を米本土から最大速力でテニアン島のB29基地に運搬する任務を終えたあと、レイテ湾に回航中であった。乗員1,196名、そのうち生還できた者は僅かに316名であった。魚雷が命中したとき真先に電源を破壊されて救難電報が発進できず、また単独航行であったために、遭難者は救助されるまで4日半ものあいだ太平洋上を漂流した。戦没者の半数は溺死であり、米海軍にとって戦中最後、且つ最大の悲劇となった。
艦長マックベイ大佐は軍法会議で有罪の判決を受け、のちに拳銃自殺を遂げた。戦友会は艦長と同艦の名誉回復のため53年ものあいだ運動を続けた後。ようやく成就した。
同艦の記念碑が米国中部インディアナ州の州都インディアナポリス市にあり、その碑のまえで同艦の戦友会が追悼式を行なっている。
伊五八潜がインディアナポリスを攻撃中、回天に乗艇して発進の命令を「今か今か」と待っていた搭乗員は「敵艦が沈まないならだしてくれ」と再三、艦長に催促した。しかし九五式酸素魚雷二型の炸薬量は550キロもある。魚雷3発が命中したのを潜望鏡で視認している艦長は、獲物を確実にし止めた判断して回天を発進させなかった。したがって同艦の悲運に、回天は直接の関与はしていないので、互いの連絡は目下のところ取るに至っていない。

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