安井少尉の日章旗帰る-御遺族判明す

会報56号より「安井少尉の日章旗帰る」

  前号で安井少尉の御遺族が見つからないこと、萬世飛行場跡に建てられた加世田市平和祈念館が、日章旗が返還された場合には、同館で保管・展示したいとの意向を有する旨を、松林先生に報告したことまでを記述した。元米軍兵士のマック・ムンク氏(81歳)は、記念に持帰った日章旗を、此の儘保持していることに疑念を生じているということを耳にした、ユタ大学広報室に勤務するアン・フロアさんが、この情報をユタ大学建築大学院で教えている松林先生に伝えたことが、そもそもの事の始まりであった。 フロアさんの案内で松林先生もムンク邸を訪れた。夫人によると、最近のムンク氏はボケが来ているのに、この時は実に鮮明に当時のことを語ったそうである。且つこの話は、夫人も初めて聞かされたとのことである。 かくて、6月半ば過ぎに安井少尉の日章旗は当協会に届き、加世田平和祈念館に転送された。 安井少尉の御霊は、さぞ安んじられたことであろう。御遺族が判明することを望んで止まない。(平成15年6月30日)

会報57号より「安井少尉の御遺族判明す」

  安井昭一少尉(少飛15期、74振武隊、昭和20年4月7日 沖縄、中城湾で戦死)が、出撃時に身に着けていた日章旗の顛末に関しては、本誌55・56号で報告したが、御遺族不明の侭少尉が出撃した萬世飛行場跡に建てられた、加世田市平和祈念館に保管・展示されることになった。 協会は御遺族の判明を願って、読・朝・毎・産経の東京本社社会部長宛に資料を提供して、全国版ニュースとして報道することを要請した。(6月30日)数日後読売の京都総局から電話取材が入ったが、直には記事にはされなかった。 丁度一ヶ月経った7月29日の夕方、大津市在住の梶谷信男氏(68)から電話で、2歳下の弟の松男が安井家の養子に入り(少尉の従弟)、現在は吹田市に住んでいる旨の連絡が入った。同夜安井松男氏とも連絡が取れた。御両人共読売の購読者ではなかったが、記事の反応は早かった。 安井家は二男一女、長姉サダ様は健在で京都・山科に在住、次女ワギ様は吹田に在住だが、目下山科の病院に入院中で、経過必ずしも良好ならずということであった。同姓同名で別人ということもあり得るので、少尉の写真を見たいとのことで、同期生の岡本久吉氏に連絡して、55号記載の写真を至急送る様に依頼して、慌しい一夜は終わった。

 加世田平和祈念館にバトンタッチして、8月14日15時から同所で返還式が執り行われる運びになった。館の前に立つ、萬世特攻隊慰霊碑”よろづよに”の前で行なわれる予定が、雨天で祈念館一階、零式三座水上偵察機展示広間に式場は変更された。 吉峰良二萬世特攻隊慰霊碑奉賛会長から、日章旗が安井松男氏に手渡されたが、直ちに松男氏からは、日章旗は祈念館にお納めしたいと発言があり、川野信男加世田市長がそれを受取って式は終了した。 この日章旗は末永く祈念館の一角に飾られて、多くの参観者に"戦争と平和”を問い続けて行くことであろう。 松男氏が、実父の梶谷藤次郎氏から聞いたことによると、松男氏の養子縁組は安井少尉が提案されたという。松男氏の入籍は昭和20年3月15日。少尉はそのことを知って、思い残すことは無いと、莞爾として萬世基地を発進されたのであろう。今更乍らその崇高な行動には、唯々頭が下がるばかりである。 尚、日章旗は暫時松男氏が携行され、早速京都府京北町にある少尉の墓前に捧げられた。58年振りのこと、在天の安井少尉の御霊は、どの様な感慨を抱かれたのであろうか。

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