宇垣 纏の戦藻録

 これは、聯合艦隊参謀長時代、「い」号作戦参加部隊視察のため昭和18年4月18日山本司令長官に随行して、中攻二機に分乗しラバウルからブインに向かう途中撃墜され長官は戦死、参謀長は重傷を負ったが生命をとりとめた。その時のことを一年後(第一戦隊司令官時代)に追憶して記したものである。前記、本記、後期に分かれているが、ここでは本記と後記の一部のみを掲載します。

昭和十九年四月十八日 火曜日 晴 一周年記念

一、 六時出発なれば常よりも早く起床、空は晴れ渡りて早鳥の眼覚めて樹間に囀る声もいと爽なり。
第三種 軍装厳しく其の日帰なればポケットに収むる携行品(日記帳、眼鏡、煙草、手巾)のみなり。
ニ、 〇五五〇宿舎玄関を出づ。長官の第三種軍装姿始めて見る。相当に似合ふも見慣れざる為か平素より異な る。我に至りては尚更然らんも自分はよき積りなり。〇六東飛行場に達す。其の時指揮所の方向 より同行の両航空参謀連出で来る。中に白服二名あり。オヤと思ひしに軍医長と主計長にして長官も変 に思われたるが今更如何とも為し難し。自動車を下り直に分れ中攻二機に分乗す。此の間余裕なく長官 の後より二号機の方に進みたるを以って別に言葉も交さずして止みたり。
一号機 長官、副官(福崎)、軍医長(高田)、樋端参謀
二号機 参謀長、主計長(北村)、今中、室井参謀、気象長(海野)
三、 搭乗すると通信参謀、気象長は機中に於て挨拶せり。余は指揮官席に進みて腰掛け、帯剣バンドは其儘 長剣のみお脱して、室井参謀に渡す。同参謀邪魔にならぬ後方へ立てかけたり。吾人の搭乗するや、両機は直ちに発動、滑走路の端に至り次で一番機、二番機の順序に離陸、湾口の火山を眼下に見て編隊針路を南 南東とす。天気晴朗、視界良好の上々飛行日和なり。左右後上方に戦闘機三機宛警戒掩護するも時々眼に入る。我高度は千五百程度と記憶するなり。
四、 二番機は一番機の左斜後編隊見事にして翼端相燭るるなきやを時々危む位にして、一番機の指揮官席に在る長官の横姿も、中を移動する人の姿もありありと認めらる。航空用図につき地物の説明を聴き乍ら気持よき飛行を味ふ。
五、 ブーゲンビル島の西側にかかるに及び高度を七、八百に下げジャングルの平地上を一直線に航過す時、機長紙片を手渡し来る。「07;45バラレ着の予定」腕時計を見るに正に07;30にしてあと十五分と覚えたり。この時、機は不意に一番機に倣ひ急降下を開始し、五十米の高度に降れり。何事?一同の心に感じたる処、通路に在りし機長(飛行兵曹長?)に「如何したのか」と尋ねたるに「間違いでしょう」と答えたり。斯く云う事が大なる間違いにて迂闊の至なりしなり。即ち上空戦闘機は之より先敵戦闘機の一群二十四機が南航の途中より引返来るを発見し、降下中攻機に警告せんとする時、一番機も敵を認め何等の余裕なく急降下ジャング ルすれすれに下りたるものなる事後より判明す。茲に於て初めて搭乗員は戦闘配置に就き、砲門を開き射撃  準備をなす。吹き入る風操縦する機銃等一時雑音交る。
六、 機がジャングルすれすれに高度を下げたる時、既に敵機の我護衛戦闘機との空中戦は展開せられ、数に於いて四倍の敵は容赦なく大物たる中攻機に迫る。之に対して機は急速九十度i以上の大回避を行なう。機長は上空を凝視し、敵機の突込まんとするを見るや、主操縦者の肩を敲きて左右を指示せり。一番機は右に 二番機は左に分離し、其の距離を増せり。二回程回避の後一番機や如何と右側を眺むるに何たる事ぞ、約四千米の距離にジャングルすれすれに黒煙と火を吐きたる一番機が速力も落ちて南下しつつあらんとは、しまった!の考えの外なく余の斜後通路に立ちありし室井航空参謀の肩を引き寄せて「長官機を見よ」と指示 せり。此の間僅かに二十秒位、敵の来襲に機は又急転して長官機を見失ふ、水平に帰るももどかしく如何な り行きたらんと心は憂に満つ、当然の結果は予想しある所なるも― 次の一暼に機影既に無く、ジャングル中より黒煙の天に沖するを認むるのみ。万事休す!
七、 この時、我機は全速力を以ってモイラ岬方向に向ひ間もなく海上に出でたり。空中戦闘は最初一番機の方面に於いて盛にして、右後方を眺むれば両者の格斗を遠見し得。胴体H型のP38が上昇ハーフターン、急旋回して我機に迫る。来た!我機銃は後方より追躡する敵機に向け喰ふか喰われるかの戦闘となる。発砲音見事なるも我射線尚近にして命中せざるか、彼は其の優速を利して急速に近接其の射弾は敵ながら見事に我の右側左側に平行集中し、時々機体に命中するを感ず。最早や如何ともなし難く「最期」近しを覚悟す。此の時機我機銃発射の音も減じ、指揮官の声もなし。相当に機上戦死を遂げたるものと判ず。室井参謀は卓上に手を広げうつ伏せになり居たるを以って、早くも敵弾命中機上戦死したるものの如し。
八、 余の前に座せる主操縦者は右翼に命中弾を感じ、不時着用意の為下舵をとり高度を海面近くに下げんとせり。自らは気付かざりしも、上空に在りたる味方戦闘機は此の時二番機も黒煙を曳きたるを目視せりと云う。主操縦者は高度を下げ終りて水平に復さんとせるが、此の時既に操縦の自由を失ひ、直に全スロットルを絞りしも如何ともすべからず、機は全速を以って俯角の儘水中に突入すると同時に左に九十度以上転覆せり。
九、 墜落か不時着かは当然覚悟し、幾分突張り気味の構に在りしを以て突入の際は別に異常無かりしが如きも、瞬間的転覆の為余は指揮官席よりもんどり打って機内の通路に転覆せり。負傷の大部は蓋し此の時なるべしと考ふ。転覆と同時に四囲暗黒、海水の相当の勢いを以て全身を襲ふを感ず。処置全く無し。之を以て宇垣の最期と自ら引導を渡したり。凡て終れる心境にて何も頭に浮ばず、焦りも足掻きもせぎりし様覚ゆるが確実を欠く。自ら引導を渡して観念せる直後、眼前にパッと明るくなれるに驚き眺むれば身体は奇しくも水面に浮びあり。何たる奇蹟ぞや!機体は既に没し右翼は我直後に逆立して炎々と燃えつつあり。附近人影無し。あゝ我助かりて未死せずとせば此の儘に在るは危険至極なり。海岸迄は二百米足らず、全身何となく変に覚ゆるも尚泳ぎつく自信あり。よし泳げと決意す。但し老骨なれば無理をして精力を消耗する事あるべからずと自を教へたり。
十、 此の時戦闘帽は頭上にあらず、右半長靴も自然に脱しあり。残る左足の靴邪魔なり。仍て水中に蹴飛ばす見事に脱げたり。日頃左足はよく痙攣を起し、上甲板上のデッキビリアードにせよ、陸上の出獵時にせよ、時々困惑したる事ありしも此の時幸なる哉何等の異常を来さざりしは後より考え幸運と申す外無し。邪魔物は既に全部脱したり。悠々平泳を以て海岸を目標に進み、時に後を顧みて、機は尚炎上を続くるも人影更に無きを進む。生存を余輩一人のみと感じたり。
十一、 約七、八十米進みたる頃眼前に箱相次で流れ来るに会す。二個は荒削りにて小型なるも一個は鼠色に塗装せる確に要具箱なり。(何れも機体中より流出せるもの)天与の助舟!同じ捉ふるならば可成大型に如かずと其の鼠色の一つに右手を掛けたり。然るに力一向に這入らず如何したと右手を眺むるに手首はだらりと下りて鮮血したたる。ハハア右手は折れて居るなと此の時始めて気付く。右手のみにては不安心なれば左手をも添へたり。茲に於いて推進力は足のみとなる。此の時に至り我前方を飛行帽子を冠りたる搭乗員一名が元気に泳ぎ行くを発見し、中声を以て「オーイ」と呼びたるに彼後を振り向き余に気付たるも其の儘陸岸に向って前進せり。箱につかまりて余裕あり。後を見るに翼は尚燃えつつありと感ず。
十二、 海岸に近寄るに従い潮流益々強く二節以上もある様に見ゆ。箱を押して足のみの水掻きにては横流れのみ多くして目標とせる前面の大木徒らに横に過ぐるのみ。騒ぐ要なし。潮あらば潮を利用し何時しか達岸の目的を達すべく至極落着きたる気分鼻歌の一も歌ひ度心地なり。此の時モイラ岬方面より兵員らしき者四名駆け出しジャングルと砂浜との境を当方に近より、時に小銃発射の銃声二発を聞く。眼はかすみかかりたる様にて充分判別し難きも、我占領地なれば我友軍に相異無き筈敵ならば捕へられざる様自沈の外無しと注視す。
丁度此の時我より先に遊泳し行きたる搭乗員海岸に到着し彼等と会し沖を指し又我存在を教へたるが如し。 (之等兵員の最初の行動に就き兵舎に収容の後問ひ訊せるに口を緘して一言も発せず。恐らく敵機を撃墜し其の搭乗員の上陸を警戒し、要すれば射殺か捕虜にせんとしたる様子なり。味方重要機と知らざれば当然の処置とも見るべし)
十三、 兵員の一名徐に着衣を脱し水に入りて我に近寄る。十米附近となりたる頃余の参謀飾緒を発見したるものか陸に向ひ「ア参謀だ、参謀だ」と頓狂の声を発したり。それ迄オッカナビックリにて近寄れる彼急に勢を得て我体を押す。「待て俺は負傷しているから此の箱を推せ」と命じ彼之に従えり。其の内他の一名も海中に入り助力して海岸に到達せり。
十四、 両機共悲惨の結果に終り、長官以下多数有為の幕僚を失ふ。生けるは我のみ。速やかに爾後の処置を講ぜざるべからずと痛感せるも、渚に上がり尻をつき一休みするの外無かりき。此所より兵舎迄十五分行程と聞きいざ行かんと立ち、兵員に支えられてカンカンと照り付く砂浜を無帽濡れ鼠にて歩を運ぶ。暑さと疲労にて眼グラグラす。丁度よし、戸板を持ち来り呉れたれば之に乗り、担がれて樹陰に在るトタン張りの兵舎に着く。直ちに陸軍衛生兵の応急手当を受け副木等も宛て仲々処置適当なり。応急手当中、第一根拠地隊司令官に電話し「本事件に関する報告は親展電報を以て必要最少限度に止むべし。参謀長より」と命じたり。以下略
後記  
一、 一号機の墜落位置は飛行機の捜索により同日中に確認し、機体の焼損を報告せしも人影を認めず。
二、 ブーゲンビル島西岸に道路工事中の陸軍部隊に飛行機墜落を逸早く届け出たる土民あり。陸軍は直ちに救援隊を差し向け翌日現地に到着。海軍救援隊に先ち遺骸を収容し帰途海軍部隊に会合せり。 長官の遺骸は軍刀を握りたる儘機の腰掛の上在り。未だ靡乱無く厳然たりしと誠に神なり。駆潜艇にて運搬中検視するに下顎部及肩に機銃貫通弾あり。恐らく機上に於いて即死せられたるに非ずやと想像す。軍医長は半焼にて区別し得たるも、其の他は焼損靡乱して判別し難かりしと云う。一方二号機はの方は水深二十余米附近にして潜水により極力捜索せるも、車輪、エンジン、プロペラ、機銃及び一本の軍刀等の飛散せるを発見せるのみにて、機体其の物は遂に発見せず。翌日及び翌々日搭乗員の遺骸二個陸岸に漂着したるのみ。
三、 両機を合し生存者は余と主計長と二番機の主操縦者のみ。即ち長官以下幕僚搭乗員を合し廿名の犠牲なり。戦の常とは云へ余の至らざりし所なり。以下略
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