後に続くを信ず

 ”後に続くを信ず”とは、特攻隊員の間でよく言い交された言葉である。余談ながらこの言葉を最初に言い残したのは、ガ島で戦死した第38師団歩兵第228聯隊中隊長若林東一だと伝えられている。この人は下士官から士官学校を受験して予科に入った努力家で、52期として卒業するときは恩賜という秀才でもあった。大東亜戦争初期の香港攻略の際、九龍半島の要塞に対し第23軍では正攻法による攻略を準備しているときに、将校斥候に出た若林は敵陣地の弱点を看破し、自分の中隊を率いて突入し、敵陣の要衝を奪取してしまった。これを知った聯隊、ついで師団は急遽計画を変更して攻撃前進に移り、敵防禦線を突破した。九龍半島の攻略を一週間早めたことになる。

 この師団はジャワ進攻作戦を経て、17年11月にガ島に上陸したが、既に防戦一辺倒で、若林中隊は与えられた陣地を一歩も退かず、乏しきに堪えて戦い続けた。その間若林は日記を欠かさず書いたが、その中に”後に続くを信ず”の語がある。年が明けて”元旦や糧なき春の勝ちいくさ”の句もある。

 ガ島残存部隊は、18年2月1日から7日にかけて海軍艦艇で撤退するが、その前の1月14日に若林は戦死する。香港攻略及びガ島の戦闘と二回に亘り、彼は個人感状に輝いている。

 だいぶ前おきが長くなったので、特攻隊の本論に戻る。爆装の小型機の体当りをもって巨艦を沈めることは、元来不可能のことだったが、士気を鼓舞する為上下を挙げて轟沈轟沈と叫んでいた。もっともそれ以外に戦う術は既になかった。また仮に一機一艦を沈め得たとしても、それが直に戦捷に繋がるとは思えなかった。そのようなことは第一線の将兵にもわかっていた。然からば己の死の価値は何なのか。

●大石政則少尉

大石政則少尉は東京帝国大学法学部二年在学中に学徒動員で海軍に入り、第14期飛行予備学生となり任官、八幡神忠隊に属し、20年4月28日97艦攻に搭乗し串良を発進、那覇近海の敵艦船に突入散華した。彼が母親に宛てた遺書の一節、

「1230発進、沖縄周辺の敵輸送船に対し痛快なる突入を決行します。仮令途中にて墜されることがあっても、戦果はなくとも、20代の若武者が次から次えと特攻攻撃を連続し、ますらおの命をつみ重ねつみ重ねして、大和島根を守りぬくことができれば幸ではありませんか」

 今の人にはなかなか理解し難いだろうが、ここに特攻の意義を認めていたのである。

 後に続く者に託する気持の充溢しているのを、義烈空挺隊員の書き残したものに多く見ることができる。この部隊は当初はサイパン攻撃の為に19年12月に編成されたのであるが、硫黄島中継ができなくなり取りやめとなった。じ来特攻隊のまま訓練を重ねること半年、5月24日になって沖縄特攻を容易にする為、沖縄の敵航空基地履滅に使われた。一時的憤激により死地に飛込むのではなく、長い間特攻隊であり続け、その間心の寄りどころは何だったのか、自分らの死が後世を奮い立たせることに価値を認めていたのであろう。

●奥山道郎大尉

陸士53期26歳、義烈空挺隊長、20年5月24日健軍発進沖縄敵航空基地に向かう、弟に書を残したものは、

散る桜残る桜も散る桜 兄に後続を望む。

●梶原哲己少尉

義烈空挺隊には中野学校出身者が10名いた。将校8名と通信特技の下士官2名である。この人達はサイパンに諜報員として潜入する為、義烈空挺隊に配属されたのであるが、サイパン空挺作戦が取りやめになった後もそのまま所属し、最後は沖縄に突入した。梶原少尉はその一人である。

魁けて梅と我が身の散りゆけば
後に続かん 桜ばなかな

●棟方哲三少尉

棟方哲三少尉は梶原少尉と同じく中野学校出身である。入営前小学校の訓導だった。健軍を出撃する直前一人の新聞記者を呼びとめて言った。「私の今生の願は、もし叶うことなら私の今の気持を私の教え子、いや全国の学童に伝えて征きたいと思うのですが、それは叶わぬことなので、ここに書き留めておきました」と言って手渡した紙片には、

全国ノ学童ニ寄ス
義烈空挺隊 棟方少尉

俺ガ行ク!
俺ガヤル!!
俺ニ続ケ!!

コノ意気デ進メ

コノ意気デ勝テ

続くものありと思えばひたすらに
もののふの道 駈けしをのこら

(後の人の作)

●澁谷健一大尉

少候22期30歳、第64振武隊長、20年6月11日万世出撃、99襲、沖縄の敵艦に突入。澁谷大尉は仙台飛行学校で特操1期の区隊長をしており特攻精神を説き、自ら特攻隊員になろうとした。幾度か志願し99襲の第64振武隊の隊長となり、若い操縦者8名を連れて出撃散華した。「愛するわが子、倫子並に生れ来る愛児へ」という遺書はあとから紹介するが、次の歌が添えてあった。

わがあとに続かんものは数多し
固く信じて 特攻は征く

 また「出身地山形の学徒、学童へ」という遺書もある。その中に「次の日本を背負って起つのはあなた達だということもよく分かっていますね。私達が特攻隊として御国の為喜んで散ってゆけるのは、後に数多くの皆さんが続いてくれるのを堅く信じているからです。今の皆さんであれば必ず出来る」

●荒川宣治少尉

東京農大特操1期24歳、第52振武隊、20年5月25日知覧出撃沖縄へ。

我が後に頼もしき者の続くこそ
喜び勇みて我は征くなり

 平和な今の世の中、国を思う精神だけでも後に続かねばならぬ。それが現状はどうか。

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