皆様の声

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眠る場所も還る場所も。
そら2011-09-16 23:54:44
初めまして。初投稿です。

原発事故が起きてからの日本で特別攻撃隊員の御魂へすべきこと。

3月11日に原発事故が起きました。

海に汚染水が流され、地上には放射性物質が拡散されました。
原発事故を思うと自分は、涙が止まらなくなります。

まず、海には隊員の方々が眠られております。

地上は、故郷・故郷での思い出・戦友との約束。特別攻撃隊員の隊員さん、日本兵の兵士さんたちが残していった笑顔があった場所。家・御霊が還る場所です。

このままでいいのか?

隊員の方の遺書にあったとおり、故郷あっての家。

故郷である日本が汚されていったら御魂はどこに還ればよいのでしょう。

海も汚され、地上も汚され。思うと涙が止まりません。

日本が現在抱えてる問題、見てみぬふりはせずに一人一人が考え、答えを見つけ出さなければならない問題ですが、難しいのが現状な今の日本。

このような日本を見て、天国から出撃の準備をされているのではないでしょうか。

自分の文章がまとまってなかったら、すみません。

また反論等がありましてもお返事のお返事はいたしかねます。

今日はこの辺で。お休みなさい。

明日の日本が少しでも幸せに近づけますように。。
正しい歴史認識が必要です
源朝臣.N2011-07-15 01:21:57
戦後、連合国により改竄され今日まで多くの日本人が誤って(騙されて)認識し、一部(と信じたい)の日本人が悪用していることの代表的なものは、
『真珠湾攻撃が日本側の不当な奇襲攻撃だったこと』
『日本の降伏が無条件降伏だったこと』
『海陸特別攻撃隊(おもに航空)が片道燃料だったこと』です。

歴史を正しく公平に学べばこれらのことは簡単に『嘘』であることが認識できます。

真珠湾攻撃は旅順攻撃と全く同じく、攻撃が宣戦布告(ハルノートがアメリカからの実質的な宣戦布告であったという事実とは別に)であった(国際的に合法)こと。
条件無しの降伏では国体維持の保証が無く、未だ充分な戦闘能力と意欲を維持していた軍は降伏に応じられなかった(本土決戦を本気で考えていた)という事実。
関行男大尉は数度にわたり基地に引き返していること。『悪天候と充分な敵(空母)が認められなかったため』。

当時の索敵能力においては、そこに居るという敵の機動部隊を捕捉できない可能性は大変大きかったのです。その時に片道の燃料では航空機・パイロットともに無駄に海上に落ちてしまいます。当時の物資不足の中では最大の無駄です。そのようなことが現代の方々は常識的に解らないのでしょうか。
航空機特攻では初期・中期・後期で戦法(アメリカ側の応戦《VTの採用など》の変化により)に違いがあります。その中に、爆弾をあらかじめ敵艦に対して落とし、後に自機のみで体当たりを行うという戦法をとる航空機が存在するのが映像などで確認できます。その場合、爆弾を抱えていない機が何をもってダメージを与えるかというと、それはガソリンです。映像の中で特攻機が敵艦に当たった瞬間に、明るい炎が現れて敵艦を覆っているのはガソリンのみの体当たりです。黒い爆発炎が上がるのは、うまく爆弾が爆発した時です。その時のためにもガソリンは満タンである必要があるのです。
バンカーヒルという大型空母に突入した特攻機はガソリンの飛散で400名の死者、260名の負傷者を生じさせます。

この特攻という形の大和魂の権化が米軍にその後の戦闘に恐怖を抱かせ、鈴木貫太郎の脅しともとれる声明とも相俟って米軍に本土決戦を躊躇させ、終戦へ向かうのです。
決して原子爆弾が戦争を終わらせたのではありません。
それどころか、日本各都市への無差別爆撃の結果の市民の虐殺、文化財の破壊、原子爆弾による非人道的な市民の虐殺。これらは当時の戦争協定・国際法に完全に違反しており、これこそが戦争犯罪として断罪されるべきものです。

正しい歴史を教えられない日本人はやがて滅びます。あの夏の日まであと一カ月。靖国の御霊をこれ以上裏切らないためにも『凜として愛』をユーチューブで一度ご覧ください。
再放送を・・・。
ぐっさん2011-07-14 10:44:58
月日が経つのが早い・・・。間もなく終戦記念日。
以前、某番組で放送された『なでしこ隊・・・。』の話し。終戦頃には、戦争についての番組が放送されますが、何故か『特攻隊』の番組が少ないような気がします。

まだまだ、戦争についての資料が出て来ているみたいですけど『特攻隊』については、少ないのか、封印されているのか分かりませんが、少なさすぎると思います。
もう一度『なでしこ隊』の番組を観たいと思います。そして、少しでも、子供に『戦争・特攻隊・玉砕』など、知ってもらいたいです。
鎮魂 そして日本人各位へ
N2011-07-08 00:07:03
また災害が起きました。災害の大小が悲しみの大小を決めるということはありません。交通事故で身内を亡くすのも同じ悲しみです。  戦争も。

誤解を恐れず言いますが今回のことは阪神以来の一大事だと思います。あの時、村山を長とする?政権が、あの前年、周辺諸国への謝罪を表明しその直後の天災です。にも拘わらず、その年に『村山談話』なるものが出されるに至り、いまだにペコペコ外交が定着し、それが日本のスタンダードの如く今でも当たり前のように語られます。私はとても受け入れられずにいます。崇高な目的のために立ちあがり斃れた靖国の英霊はどのように思われていたのでしょうか。
一昨年、同じく?政権が生まれ、今度は、あからさまに日本売りの政策がなされ、国内外各方面に軋轢を生み、それでも国売り一辺倒をやめない中、賊からの献金を、そのトップが受けていたという中で今回の災いは起きました。英霊は怒っているのです。彼らの想いに添えば当たり前のことです。怒りの頂点です。

最近、数年前に特攻隊と靖国について書かれた著名な方の作文を目にしました。靖国に重点を置いたものでしたが、その中の特攻に関する記述は全く酷いものでした。あれでは隊員の人たちは浮かばれません。
誰にでも一つしかない命のことですので、その価値を言葉で説明するのは難しく、まして文章にすると稚拙なものになってしまいがちです。それを推して感じてほしいのは、特攻隊員たちが写真に笑って写っていることの意味です。前にも書きましたが、彼らの目指した『悠久の大義』がそこには在ります。後に続く同じ日本人の我々子孫に訴えているのです。だから笑えるのです。だから無理にでも笑うのです(私には無理に笑っているようには決して思えませんのですが)。笑って散っていることが彼らの死を崇高なものにしているのです。その微笑みは誰のためでも無い、自分たち『日本人の子孫』への『思いやり』と『愛』の結果に他ならないとつくづく感じるのです。

私たち日本人に欠けているのは土台です。土台のしっかりしていないところに上物をいくら豪華にこしらえても、それはいずれ崩れます。それが現代の日本人の姿です。個々の家が形成され、その結果、国家が形成されるための肝心の過去という名の土台を否定されているのです。先祖を敬えない家や国に未来はありません。

恐れを知らない生き方は、見えない物への畏敬の念を亡くしました。昔々の日本にはそれは当たり前のように存在したものでした。それを亡くしてしまった結果、日本人は昔の美しい心を亡くし、勝ち組・負け組などという醜い言葉に心を支配され、それが権力保持者の勘違いや潔くない言動にも表れているのです。

まもなくあの夏の日がまたやって来ます。またバカやアホやタワケという言葉では表せない醜い報道が、この特別な年にも繰り広げられるのでしょうか。15日でなくても良いのです。一度靖国神社に行ってみませんか。地方の方はそれぞれの都道府県にある護国神社で良いのです。私も良く行く京都の霊山護国神社は竜馬や維新の獅子が祀られている日本で最初の護国神社です。パール判事の記念碑への参拝もお忘れなく。

歴史を忘れた民族はやがて滅びます。そのような意味で現在の教員は万死に値します。なにせ嘘を公然と教えているのですから。その結果、情緒不安定で根っこのない拝金主義な子供を造り出しています。教師が拝金主義なのですからいたしかたありませんが。この自虐的な歴史観を孫や曾孫にまで押し付けるつもりでしょうか。そのような結果になったことに気付いていなかったとしても、それは英霊に対する裏切り行為なのです。
不幸なことですが、この日本では、学校で教えてくれない正しい歴史を日本人として個人で勉強する必要があります。これ以上英霊を裏切らないためにも正しい歴史を次の世代、その次の世代へと、永遠に伝えられるような国にしたいものです。

誰にでも平等にやがてはやって来る『死』。あの世で英霊の方々に会ったとき、あなたは日本人として彼等に胸を張ってあいまみえることができるのでしょうか。特に国のトップにおられる方々には心していただかなくてはならないことだと思います。

今を生きる日本人である自分たちがまず考えなければいけないのはそのことだと思います。
母の涙
めり2011-05-11 21:28:51
昭和元年生まれの母は、大切な青春期を戦争と共に過ごしました。生前の母は戦争について
何一つ語りませんでしたが、くも膜下出血で倒れる数か月前にテレビの戦争番組を見ていた時
突然ぽろりと涙をこぼしたのです。
 
子供の前で涙など見せたことのない気丈な母が泣いている、そのことに驚いている私に母は
今まで黙り通して来た大切な事実を語ってくれました。実は母には許婚者があったこと、そして
その人は特攻で亡くなってしまったと。その方の名前は教えてはくれませんでした。

母は許婚者が亡くなってから、長い間独身を通していましたが縁あって結婚し、私と弟が生まれました。しかし、その結婚生活は不幸なものでした。 結婚して十年後、父は他の女性のもとに走り生涯戻ってくることはなかったのです。

当時若かった私も、そろそろ五十路半ばとなり、母の心中を察する時やはり涙を禁じ得ません。きっと、母は特攻で亡くなられたお方の面影をひと時も忘れることは無かったのでしょう。 
それは、あの時母の瞳からこぼれた一滴の涙が証明しています。

戦争は様々な不幸を招来しましたが、すべてを恩讐の彼方へと忘れ去ってしまってはならないと
強く感じています。私事を犠牲にして、国家国民のために尊い命を捧げられた英霊に心からの感謝と慰霊の気持ちを持ち続けると共に、日本国民として誇り高く生きる事こそが亡き人々に酬いる道であると信じます。
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