皆様の声

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祖父の最後
英司2010-08-16 10:39:51
初めまして今日は。 この度、このホームページに出会ったきっかけは祖父の最後はどのようにしてどんな思いだったのか。子供のころからの疑問でした。高齢の祖母から最近になり、当時の資料を見せてもらう機会があり投稿してみました。

祖父の所属した情報として把握している範囲で記載します。

佐世保防備隊 第七攻四五震洋隊 鈴木部隊 特攻隊 一 柳原 祐次郎

戦死日時  昭和20年3月18日  鹿児島湾沖にて 敵航空機の爆撃により賢洋丸乗船の際
沈没
ただただ英霊達へ感謝。
駿2010-06-11 18:17:01
自分は今受験シーズン真っ盛りの中学三年生です。
戦時で言えば後数えるほどの年で戦争に駆り出されることでしょう。
それを思い、ふと考えました。自分に、友達に、同年代にそれができるか。
特攻が、玉砕が、家族のために命を張れるか。
答えはきっとできないでしょう。いや、徴兵さえ拒むでしょう。
自分さえよければいい思考の現代の若者に家族を想い散るなんてこと到底できないと思います。これは自分も然りです。



親機から切り離されてからすぐ、自分の手でロケットエンジンに点火。
時速800キロ近く急降下、神経を研ぎ澄まし、戦艦に突っ込む。

相手の対空攻撃を避けるため、低高度で戦艦に接近。
接近すると同時に急上昇、急降下。
瞬きひとつせず、ただ戦艦の中央を見つめ突入する。

水が容易に入ってしまう潜水服を着て、15メートルほどの竿を持ち着水。
浅瀬に待機後、本土を攻撃しようとする戦艦向け、竿の機雷を突き立て、艦もろとも爆死する。



怖い。
ただ怖いと思いました。

叫び声をあげながら、意識がぷっつり途切れるのを待つ。
尋常じゃない恐怖です。靖国で会おうなんて綺麗事に等しく思えてきます。
死んだら真っ暗、いやその闇を認識することさえできません。
単純に怖いですよ。そんなことまっぴらです。犯罪起こしてでもやめようと思います。

でもそんな割り切れない気持ちの中、はたまた大切な人のため、祖国を守るため、散華していった青年達は本当に凄いと思います。

こんな恐怖に耐えられますか。20歳前後の青年に。
こんな事を投げ出さずにいられますか。まだこれから青春という年代に。

心から尊敬し、感謝いたします。
願うなら英霊たちと対談したいものです。

この場を借りて言わせていただきます。
有難う。そして御疲れ様でした。あなた方が命をかけ、守ってくれた日本は今、世界でも指折りの技術大国へと成長を遂げました。
どうか安らかにお眠りください。
振武桜特別攻撃隊(司偵振武隊)についての質問です
村山 博之2010-06-06 12:40:05
(財)特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会 御中

はじめまして、私は村山 博之と申します。
現在愛知在住でありますが、在京時代、模型雑誌での作例記事、
レギュラーコーナー執筆等に携わっておりました。

私は現在、陸海軍特攻隊の航空機を、模型として、立体として製作し、
後世にその歴史を残すことを目標としております。
戦争経験をお持ちの方が鬼籍に入られている中、
後世に正しい歴史観を残すための一助になれば、との思いからであります。

そこで、今製作している司偵振武隊の機体についてご教示いただきたく存じます。

司偵振武隊の記録写真としては、
昭和20年5月14日、出撃する古山弘少尉の二型と、
三型と言われている、搭乗者不明のト-47号機の尾翼部分の写真が書物にて確認できます。

この記録に関して、
①ト-47号機が三型であるという明確な証拠はあるか?(尾翼だけでは断定不可)
②無武装の新司偵への爆弾の搭載方法(胴体中心線上への搭載ということは確認)

以上の内容が確認できる資料・証言等はございませんでしょうか?
浅薄な知識しかないにもかかわらず大それた目標を立ててしまい、
皆様にはご迷惑をおかけいたしますが、ご教示いただければ幸いです。

メールにてご回答いただいても、またありがたく存じます。
bf110g-2@hotmail.co.jp
フリーメールにて失礼いたします。

何卒よろしくお願いいたします。

村山 博之
初めまして
y・k2010-05-19 23:38:39
初めまして 東京の大学に通っているものです。 私は、幼いときに知覧の特攻記念館に行きました。 そのときの衝撃が凄く胸に刻みつけられました。 私は、特攻について調べるようになり、いろいろと勉強しました。私は、18歳ですが、自分が大人になる前に、戦争を知るべきだと思いました。大人になってからだと、特攻に自分と同じ世代の気持ちが分かりにくくなるではないのかと思いました。  よろしければ、どなたか特攻について教えていただけないでしょうか。
特攻隊に感謝
2010-02-21 02:19:37
たまに投稿文を閲覧させていただいておりましたが、最近の若い方々の知りたい気持ちの強さには感激いたします。
私も伯父が予科練であったこともあり、高校の頃から戦争についていろいろ調べはじめました。当時はネットもなく苦労しましたが、小説や作り話ではない本当の話と思われるものを浮き彫りにするまでに長い時間が必要でした。伯父も含め、まだまだ体験者がご存命でしたので、すり合わせによって真実がわかってきました。若い方々がそれぞれ正しい戦争のことを勉強することによって、今後の生き方の参考になれば戦争で亡くなられた方々も浮かばれるのではないでしょうか。

自分たちが日本史を学習しているなかで変なことに気が付きませんか?
石器時代から始まる話は、平安・鎌倉を経て信玄・信長・秀吉・家康、そして幕末へとそこそこ詳しく進みますが、ペリー来航あたりからあっという間に昭和20年8月になってしまう。
もっとひどいケースは時間切れ・試験に関係無いとかで話にすら上りません。最悪なのは高校では日本史が選択になっていること。このような国は日本だけでしょう。これには占領下で行われた戦争教育に対する施策が強く関わっています。はっきりいえば本当のことを知らせないように仕組まれているのです。
終戦後ただちに日本占領に着手したGHQが最初にしたことは『大東亜戦争』を『太平洋戦争』と書きかえさせ、特攻隊を徹底的に批判したことです。そのことによって軍神の母とまで言われた関大尉の母上は、罵声をあびせられ、一人息子のお墓を建てることもできず悲しみのうちに亡くなられました。同じような思いの方が当時たくさんおられたはずです。以後特攻隊のイメージは最悪なものとなり、いまだに回復したとはいえない状況です。特攻について賛否があるのもわかります。責任者追求ということもそうでしょう。でも当時の日々の戦況を思えばいたしかたなかったのです。その前に戦争を終わりにすればベストだったのでしょうが、日本だけの都合で「戦争やめた」と言えたはずもなく。
結局、特攻は想像以上の成果を挙げます。この恐怖とその理念がGHQをして徹底的な特攻批判となったわけです。
海軍がはじめた航空特攻には『大義』が存在します。それは戦争が終わった後、日本人が、ここまでして日本を守ろうとした人たちがいたことを忘れなければ日本はきっと再生する。そのための『礎』になるということです。遺書にも多く「国のいしずえ」という言葉がみられます。遠い未来の国民に叫んでいるのです。忘れたではすまないのです。
私達は本来、その大義を理解して生活しなくてはいけないのです。感謝しなくてはいけないのです。
感謝の誠があれば同胞をだますようなこともできません。政治家も私利私欲にはしることはできないはずです。
でも現実はどうでしょう。 特攻を正しく理解し彼らの命に報いたいものです。
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