皆様の声

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「沖縄県糸満市」2009-09-03 21:04:49
(戦争)   
誰しもがこよなく愛して止まない故郷…國と國との勇ましく酷い戦争に、決して勝敗がうまれる亊はない。
人と人とは支え合って生きて行かなければならない生き物でありながら、自ら傷付け合い…尊い命をたやすく奪ってしまう。
生還なされた方や・取り残された御遺族の亊を思うと、その悲しみ苦しみは命を奪われる以上に心に深い傷を付ける。
※人は道を間違えるが、近道を望んではならない。戻る亊もできず、迷い選んだ道が例え遠回りだとしても己の道であり(国の道)。人はそうして原点に再び立てる。…と私は最近思いました。
御時世、戦争を知らない私達が戦争を知らない人達に伝承する…誰に対しても話すことに諦めの志では理解してもらうことは難しい時もあるが、命途切れるその日まで吐き出す言語に意味は必ずある。

※防長英霊の塔にての写真です…各県(46)の慰霊塔の多さに胸が熱くなり、本当に有り難く思いました。
24,447柱の御霊に深く慰霊の誠を捧げると共に、御冥福と決して一菊の涙では治まらぬ哀しみを胸に抱き祈って参りました。
特攻隊の方々から私たちへ託されたこと
18歳 女子校生2009-09-01 15:59:46
特攻隊・・・未来の日本を想って、死んでいかれた人たち。
世間では軍神とあがめられ、賞賛され・・・
けれど喜んで死へ向かったのではない、人としてそれぞれ思いがあった。

私と同年代の特攻隊員の方の遺書をよみ、考えさせられることはたくさんあった。
そんな方たちが残してくれた日本を私たちは担っていく。
もっと私は、特攻隊のことについて知りたい。
戦争時代を全く知らない私たち・・・どんなことがあったのか、知るべきだと思う。
私の友だちに、おじいさんが元特攻隊員という方がいらっしゃって、特別にお話しをうかがえることになった。

来春、靖国神社そして知覧の地へ足を運びたいと思っている。

私のような高校生にももっと知ってほしいと思う。
それがこれからを担う私たちの役目ではないだろうか。
特攻隊の人たち、先人たちから受け継いだバトンを落とさぬように。

特攻隊の方々、私たち、すなわちあなた方の子孫は必ずや、平和な日本を築いてゆきます。
どうか、安らかにお眠りください。
18歳・女子高生さんへ
ケンジ2009-09-07 06:38:15
初めまして、 若くして感心します。 一人でも多くの人達に(特攻隊やなでしこ隊等…)今現在知っている亊だけでも、お互いに伝承して行きましょう。絶対的な横の連携が必要なのですから、、 是非、来年の鹿児島知覧町で斎行される知覧特攻基地戦没者慰霊祭(平和観音堂前)に出席下さいませ。喜ばしく思うのは私でなく英霊の方々と存じます。涙し黙祷を捧げられる豊かな時代になったと… ●何時の日か…もし宜しければ、山口県大津島にも足を運んで欲しい所存です。私は何度も手を合わせに参りに行っていますが、今年の1 1月中旬頃に斎行される慰霊祭には是非とも出席したいと思っています。(写真)
特攻烈士を忘れない
リョウスケ2009-08-18 19:18:19
母方に特殊潜航艇で真珠湾において亡くなった者がいる関係で、靖国神社にはしばしば参拝してきました。遊就館にも何度となく入りました。ここ数年は大東亜戦争の前後の歴史を自分なりに調べてきました。終生続けることになるでしょう。
仕事柄、特に若い命が失われたということ自体にやりきれない思いがします。陸軍少年飛行兵史やこちらの特別攻撃隊全史、その他の特攻関連の資料や図書を調べてきました。DVDやYouTubeも見ました。
陸軍少年飛行兵のある期などは、47倍の難関であるような試験を突破し、各学校で厳しい訓練を受け、朝鮮や中国を含む国内外の基地をあちこちと動かされ、結果的にフィリピンや沖縄沖で、空母もなく陸地から発進して何時間という遠距離を飛行し、特攻で散華した英霊たちの運命に、出撃直前に書かれた遺詠とともに、やりきれない思いと義憤を覚えます。時期を分けるのは不謹慎ですが、特に昭和20年3月下旬以降、米軍が沖縄慶良間列島に上陸したあたり以降の特攻は、彼らの生きてきた人生や豊富な訓練と悠久の大義に殉ずる決意を知るとき、出撃用の戦闘機・襲撃機にはもっと最新の機体で飛んでいってほしかったし、立派に整備された基地から飛び立っていってほしかった。せめてもの思いです。
頭脳優秀で技量卓抜の若者たちが、国のため愛する人のため散華したことを、決して忘れません。仕事もあって遠方に慰霊に出かけることができなくて残念ですが、そのためにも靖国神社での慰霊を精一杯つづけていきます。参拝の日は気合いを入れて必ず第一の鳥居から進み、退きます。そうしないと、先輩たち英霊に礼を失するような気がするからです。
あなたがたのおかげで、日本は植民地にもならず、戦後の復興を遂げてきました。国民ひとりひとりがこのことを肝に銘ずべきです。烈士らは必ずや、天から日本の行く末を見守っていることと思います。
また来週、お会いしに出かけます。
教えてください。
ケンジ2009-08-11 18:28:57
万世特攻平和祈念館は、
知覧町付近ですか?
その他に行っておかなければ為らない場所があれば是非お伺いしたいのですが…毎年、5月3日には慰霊祭に参列するのですが中々余裕ある時間が無い為、後ろ髪引かれる思いで何時も心残りでたまりません。
万世特攻記念館の場所
知覧の西北西15km2009-09-11 12:50:25
南さつま市加世田万世地区にあります。加世田バスセンター(旧駅跡)西へ5kmに記念館ががあります。不時着した飛行機の残骸を展示しています。ガイドは居ません。因みに・・・・知覧のような単なる中継基地と異なり、ここには第99飛行隊がありました、決して秘密基地ではありません(TVで写真が掲載されていますが、当時はどの滑走路も敵から隠蔽するために砂・草・枯れ木で覆われていました)。また、陸軍特攻機を100機発進しています。知覧は同412機。因みに日本で最大の特攻機を発進させたのは鹿児島県鹿屋海軍航空基地(622機)です。子の他鹿児島では海軍機(国分第1・第2)串良・垂水・出水・指宿(水上機61機)など、陸軍機は知覧・万世のみ。 更にここから南20km枕崎市に平和祈念展望台があり、水上特攻の大和・矢矧以下合計6隻の船で戦没した人々の慰霊碑があり、詳しいガイドが当時の状況を数字で説明しています。戦争礼賛でなく、史実に忠実なガイドですので安心です。
俺は、何を為すべきか?
太雅2009-06-15 02:21:53
頭をガツンと金槌で殴られたような、心臓を鷲掴みにされたような衝撃を受けた。
たまたまYou Tubeを見ていて、「特攻隊」を取り上げた映像に触れた。
泣けた、号泣した。これほどの涙がどこにあったのか!?親父が死んだ時以来だった。
魂魄の叫びそのままの遺書、出撃前の無垢な笑顔、そして壮絶な敵艦への体当たり、
あるいは悲壮な撃墜・・・
俺は、特攻の英霊たちを「兄貴たち」と呼ばせてもらっている。
散っていったあの頃のまま、この国を、俺たちを見守ってくれていると思うから。
以来、神坂次郎氏や工藤雪枝さんの本を貪るように読んだ。
気高い「兄貴たち」は、後世の俺たちが可哀想など同情することを望んでいない
と、工藤さんは書いていた。
そうだろうと思う。
だったら、俺たちは何を為すべきか?崇高な「兄貴たち」に報いるために・・・
俺は知覧にも万世にも行っていない。靖国にさえ詣でたことがない。
まず行くべきだろう、詣でるべきだろう。
若くして散った「兄貴たち」の多くは親兄弟はいても、子孫がない。
慰霊祭に参列する方たちは高齢化し、年々数も減っていると聞く。
だから、なおさら俺はどんなに遠くても行くと決心した。
けど・・・鎮魂だけでいいのか?「兄貴たちのおかげでこんな立派な国を築きました」
と俺たちが言えるために為すべきことは・・・誰か教えてほしい。本当に、切実に。。。

深夜、バイトを終えて家に帰り、また「兄貴たち」の遺書を読んで、涙ながらに思う。
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