皆様の声

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事務局にお尋ね=特攻は本当に志願者のみの出撃だったのでしょうか
た~ちゃん2009-09-11 13:25:38
色んな戦争資料館を見学したり、当時の隊員だった方々、父親(海軍大尉)NHK-TVの放送を見たりしていると、様々な事実があります。海軍では「出来る限り志願させよ=NHK海軍)志願制が原則だったように聞いています。Q-1=陸軍は?(作戦は特攻とすNHKTV)。
Q-2=大和の最後の出撃には40歳以上・一人っ子・長男は強制下船させたと言われていますが事実でしょうか。戦前派戦争礼賛、戦後は反動的に何もかも否定し、驚嘆な悲劇物語が創作され続けました、主に知覧を題材の小説・本など。本当は知覧は陸軍の特攻中継基地で指揮官すらおらず、各地で特攻編成して知覧に着いた隊員はただ[飯を食って・寝て・燃料・爆弾を積み」天候がよければ、自分の隊の指揮官の指示で発進するだけの、単なる中継基地・・・・なのに、むちゃくちゃな空想物語が創作されていますが、Q-3これは事実ではありませんか?
以上3点教えて下さい。
特攻に対する事務局からの回答
特攻協会事務局2009-09-15 10:35:57
Q-1  全て志願ではないようです。 Q-2  事実ではありません。 Q-3  事実ではありません。     ※細部に関しては直接事務局にお問い合わせ下さい。
水上特攻=鹿児島県枕崎市
た~ちゃん2009-09-11 13:10:52
鹿児島県枕崎市に平和祈念展望台があり、昭和20年4月7日にこの沖200kmの海上で戦没した戦艦大和・巡洋艦矢矧以下駆逐艦4隻の戦没者を慰霊する施設があります。ボランティアのガイドさんがおられます。ボランティアですが専門知識に詳しく、当時の状況を日米双方の状況・被害などを数字を中心に離されます。無闇に英雄視せず、この戦争を否定も肯定もせず、歴史的事実を数字を使って淡々と離されるのが返って新鮮で胸に沁み込んで来ました。
毎週火曜日が定休日、その他は10~16時の間ガイドしています。
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「沖縄県糸満市」2009-09-03 21:04:49
(戦争)   
誰しもがこよなく愛して止まない故郷…國と國との勇ましく酷い戦争に、決して勝敗がうまれる亊はない。
人と人とは支え合って生きて行かなければならない生き物でありながら、自ら傷付け合い…尊い命をたやすく奪ってしまう。
生還なされた方や・取り残された御遺族の亊を思うと、その悲しみ苦しみは命を奪われる以上に心に深い傷を付ける。
※人は道を間違えるが、近道を望んではならない。戻る亊もできず、迷い選んだ道が例え遠回りだとしても己の道であり(国の道)。人はそうして原点に再び立てる。…と私は最近思いました。
御時世、戦争を知らない私達が戦争を知らない人達に伝承する…誰に対しても話すことに諦めの志では理解してもらうことは難しい時もあるが、命途切れるその日まで吐き出す言語に意味は必ずある。

※防長英霊の塔にての写真です…各県(46)の慰霊塔の多さに胸が熱くなり、本当に有り難く思いました。
24,447柱の御霊に深く慰霊の誠を捧げると共に、御冥福と決して一菊の涙では治まらぬ哀しみを胸に抱き祈って参りました。
特攻隊の方々から私たちへ託されたこと
18歳 女子校生2009-09-01 15:59:46
特攻隊・・・未来の日本を想って、死んでいかれた人たち。
世間では軍神とあがめられ、賞賛され・・・
けれど喜んで死へ向かったのではない、人としてそれぞれ思いがあった。

私と同年代の特攻隊員の方の遺書をよみ、考えさせられることはたくさんあった。
そんな方たちが残してくれた日本を私たちは担っていく。
もっと私は、特攻隊のことについて知りたい。
戦争時代を全く知らない私たち・・・どんなことがあったのか、知るべきだと思う。
私の友だちに、おじいさんが元特攻隊員という方がいらっしゃって、特別にお話しをうかがえることになった。

来春、靖国神社そして知覧の地へ足を運びたいと思っている。

私のような高校生にももっと知ってほしいと思う。
それがこれからを担う私たちの役目ではないだろうか。
特攻隊の人たち、先人たちから受け継いだバトンを落とさぬように。

特攻隊の方々、私たち、すなわちあなた方の子孫は必ずや、平和な日本を築いてゆきます。
どうか、安らかにお眠りください。
18歳・女子高生さんへ
ケンジ2009-09-07 06:38:15
初めまして、 若くして感心します。 一人でも多くの人達に(特攻隊やなでしこ隊等…)今現在知っている亊だけでも、お互いに伝承して行きましょう。絶対的な横の連携が必要なのですから、、 是非、来年の鹿児島知覧町で斎行される知覧特攻基地戦没者慰霊祭(平和観音堂前)に出席下さいませ。喜ばしく思うのは私でなく英霊の方々と存じます。涙し黙祷を捧げられる豊かな時代になったと… ●何時の日か…もし宜しければ、山口県大津島にも足を運んで欲しい所存です。私は何度も手を合わせに参りに行っていますが、今年の1 1月中旬頃に斎行される慰霊祭には是非とも出席したいと思っています。(写真)
特攻烈士を忘れない
リョウスケ2009-08-18 19:18:19
母方に特殊潜航艇で真珠湾において亡くなった者がいる関係で、靖国神社にはしばしば参拝してきました。遊就館にも何度となく入りました。ここ数年は大東亜戦争の前後の歴史を自分なりに調べてきました。終生続けることになるでしょう。
仕事柄、特に若い命が失われたということ自体にやりきれない思いがします。陸軍少年飛行兵史やこちらの特別攻撃隊全史、その他の特攻関連の資料や図書を調べてきました。DVDやYouTubeも見ました。
陸軍少年飛行兵のある期などは、47倍の難関であるような試験を突破し、各学校で厳しい訓練を受け、朝鮮や中国を含む国内外の基地をあちこちと動かされ、結果的にフィリピンや沖縄沖で、空母もなく陸地から発進して何時間という遠距離を飛行し、特攻で散華した英霊たちの運命に、出撃直前に書かれた遺詠とともに、やりきれない思いと義憤を覚えます。時期を分けるのは不謹慎ですが、特に昭和20年3月下旬以降、米軍が沖縄慶良間列島に上陸したあたり以降の特攻は、彼らの生きてきた人生や豊富な訓練と悠久の大義に殉ずる決意を知るとき、出撃用の戦闘機・襲撃機にはもっと最新の機体で飛んでいってほしかったし、立派に整備された基地から飛び立っていってほしかった。せめてもの思いです。
頭脳優秀で技量卓抜の若者たちが、国のため愛する人のため散華したことを、決して忘れません。仕事もあって遠方に慰霊に出かけることができなくて残念ですが、そのためにも靖国神社での慰霊を精一杯つづけていきます。参拝の日は気合いを入れて必ず第一の鳥居から進み、退きます。そうしないと、先輩たち英霊に礼を失するような気がするからです。
あなたがたのおかげで、日本は植民地にもならず、戦後の復興を遂げてきました。国民ひとりひとりがこのことを肝に銘ずべきです。烈士らは必ずや、天から日本の行く末を見守っていることと思います。
また来週、お会いしに出かけます。
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