皆様の声

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特攻先輩への陳謝
渡辺一民2018-05-19 01:28:42
拉致たみも
救えぬ国になりたれば
如何に詫びるや
特攻の士に
献茶慰霊祭参加と拙著のご案内
落合道夫2018-05-02 14:23:03

世田谷観音の献茶慰霊行事参加と拙著のご紹介
会員 近代史研究家 落合道夫

●「千玄室氏の献茶慰霊」4月29日、東京の世田谷観音で行われた特攻隊英霊の献茶慰霊顕彰行事に参加した。献茶された裏千家総帥千玄室氏は元海軍特別攻撃隊員で九十四才というご高齢にも拘わらず、緊迫した往時の状況をはっきり話され民族の歴史にのこる巨大な事績の生き証人として参列者に深い感銘を与えた。私の隣席には小学生を連れた自衛隊パイロットの方がおられたが、千玄室氏は特にこのお子さんに目をとめてご両親とお話をされた。将来の歴史の継承者として期待されたのであろう。
●「歴史本の刊行」このたび「黒幕はスターリンだった」をハート出版から刊行したのでご案内いたします。これは大東亜戦争から今日に至る日本の苦難の歴史を因果関係で分かり易く分析したもので多くの内外の挿話を紹介しました。
●「梅原少尉と父」特別攻撃隊の事績については、「特攻のレクイエム」工藤雪枝著からレイテで特攻戦死された八紘丹心隊の梅原少尉と父親の別離の話を抜粋紹介しました。日本人なら誰も涙無くして読むことは出来ない。ぜひ原典をお読み下さい。また私は、この中で知覧の慰霊施設を参拝した若い女性の感想文に心を打たれたので引用紹介します。
「今日始めて訪れて涙が止まりませんでした。戦争を知らない世代としてカミカゼと冗談でいうことの愚かさ、恐ろしさを知りました。私より若い人が国のために死んでいったなんてびっくりです。自分の人生について深く考えさせられました」(二十代女性)
「私は鹿児島市内にいて今までこの地に来たことがなかったことを恥ずかしく思います。私達と同じ年齢の頼もしい好青年の勇姿に強く心を打たれました。私は今日この地に足を運んだことにより何か特別な感動によって新しい考えを持つことが出来たと思います。本当に来てよかった」十代女性」

●「戦死者の意義」
大東亜戦争は二百三十万という大変な犠牲を出したが、その政治的な意義については明らかにされていない。そこで米国の外交専門家G・ケナンの意見を紹介した。すなわち、ルーズベルト大統領はヤルタ会談で日本固有の領土をソ連に渡したことから見て、日本の歴史的消滅を考えていた可能性があったという。これは重大な指摘である。だとしたら、終戦四ヶ月前の彼の死まで戦線を持ちこたえた日本軍の勇敢な抵抗と犠牲は亡国を防ぐという立派な意義があったということである。したがって靖国神社の護持と英霊の顕彰が国民の義務である事が改めてはっきり分かると思う。文字通り日本が今日あるのは英霊のおかげなのだ。

●「本書の構成」本書は、大東亜戦争を大戦唯一の勝利者と云われるスターリンの国際戦略から分析し、日本の自衛戦争であったことを論証した。また戦後の歴史を四期に分けて分析した。これにより時代の変化と、人口減、国防問題などに苦しむ現下の日本が何をなすべきかを明らかにした。
●「書評と読者」アマゾンの書評では読みやすく、簡潔明快で分かり易い、という書評があり、六〇代の女性からも長年の歴史の疑問が解けたなどの感想を頂いている。
政治的には、昨今反日的な教科書が採用され日本の子供の組織的な洗脳が始まっている。これに対して国民の間に強い反発があるが代わりになる歴史観がない。そこで本書の新しい連続歴史観を国民の歴史観として広め、反日歴史工作を撃退したい。是非中学生から高齢者まで、学生、教員、政治家、自衛隊関係者にも本書を読んでいただき、広めて欲しいと願っています。

以上
会報特攻(11月号)記事中の英霊の戦死された日について
奥野高雄2016-11-08 22:29:56
標記、会報の献吟の記事中、第72振武隊荒木幸雄命の戦死が昭和20年6月3日となっていますが、5月27日が戦死された日であります。ご検証いただけますようお願いいたします。
回答
事務局2016-11-09 11:01:26
いつも特攻隊戦没者慰霊顕彰会をご支援いただきありがとうございます。ご指摘の件につきまして確認しましたところ、貴ご指摘のとおり荒木伍長の戦死日は5月27日でした。  6月3日というのは、当顕彰会の前身である特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会が編集し、PHP研究所が発行した「特攻隊遺詠集」(1999年8月15日発行)に記載されている戦死日でして、当顕彰会が保有している特攻隊戦死者に関するデータベースでは確かに5月27日でありまして当方の確認ミスでございます。 次号で訂正分を記載したいと思います。ありがとうございました。
艦内神社について
村上恵一2016-10-18 11:03:41
艦内神社について調べています。熊本県球磨郡湯前町に市房山神宮という神社があります。この神社が熊本県内で唯一の艦内神社だったそうで、「軽巡洋艦・球磨」の神社になります。
そこで、球磨の艦内神社に市房山神宮の祭神を分祀したといういきさつなど知りたいのですが、全国の艦内神社の分祀をまとめた資料とかをお持ちではないでしょうか?
回答
事務局2016-10-18 12:40:33
いつも顕彰会の活動にご支援ご協力いただきありがとうございます。お尋ねの件ですが、顕彰会のライブラリーには見当たりません。これにはと思う本にもあたりましたが艦内神社に関する記述は有りませんでした。水交会の方が分かるかもしれません。お役に立てず申し訳ありませんでした。
鮫島豊大尉
磯 和義2016-09-23 08:28:24
石井様
昨日はお世話様でした。
昨日愚妻がお尋ねした件ですが、宜しくお願い致します。
第51振武隊 鮫島豊大尉のことです。
①どんな人物だったのか?
②なぜ5月6日に単独で出撃したのか?
翌日は隊が揃っていたのに。
とご遺族の方が少しでも情報を知りたいそうなので、よろしくお願い致します。
回答
事務局2016-09-26 11:37:55
ご質問の1についてはこちらではわかりません。 また2についてもわかりませんが、第51振武隊は5月11日に7名の方が、同じく28日に1名の方が散華されています。 鮫島大尉が亡くなられた5月6日には第56振武隊が4名、第49振武隊が3名が同じ海域で散華されてますので作戦要求に基づく出撃ではないかと思われます。ご質問はこちらではなくメールの方が早いと思われますので今後はそちらでお願いします。
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