1. 光明を求めて 1. 光明を求めて


 昭和16年9月6日の御前会議において、永野修身軍令部総長は統帥部を代表して「政府は戦わざれば亡国と判断された。戦うもまた亡国であるかも知れぬ。戦わざる亡国は真の亡国であり、最後の一兵まで戦うことによってのみ死中に活を求め得るであろう」と挨拶したと言われている。事実この8月米国の全面禁輸に際会した後の日本経済の前途は絶望的であった。中国からの撤兵によって、和平への一縷の望みがないわけではなかったが、それは米国の主張に一方的に屈服することであった。
11月5日、宮中の御前会議は「開戦」を決意した。海・陸軍統帥部長の述べた戦略的勝敗見通しには依然として確算はなかった。それにもかかわらずあえて開戦を決意したのは、東條英機総理大臣が述べた「無為は自滅であり、決然起って光明を求める」という信念に、統帥部、政府首脳が同意したからである。大東亜戦争は、まさにわが国が存亡をかけた大戦であった。

 開戦劈頭、日本海軍はハワイを奇襲し、空母二隻などを除いて米太平洋艦隊主力を潰滅した。わが損害は飛行機喪失二九機、伊号70潜水艦及び特殊潜航艇五隻である。この特潜部隊は「特別攻撃隊」と呼称された。

特別攻撃隊員の救出の方途は講じてはいられたものの、隊員はすべて生還を期することなく真珠湾に突入したのである。それは、若者達の祖国の安泰と繁栄にかける捨身の忠誠心の発露であった。

 陸海軍の勇戦による緒戦成功の間にも、日本海軍は決して敵を侮っていたわけではない。連続する奇襲攻撃によって敵海上戦力の台頭を抑える努力をした。昭和17年5月29~30日、特殊潜航艇はマダガスカル島ディゴ・スアレス湾のイギリス艦隊を奇襲して大打撃を与え、同5月31日〜6月1日、オーストラリアのシドニー湾に、アメリカ・オーストラリア艦隊を襲った。そして、その特殊潜航艇の乗員はすべて還らなかった。

 昭和17年6月、ミッドウェー海戦を境に彼我の戦勢は逐次逆転を始めた。ニューギニア東部戦線、ガダルカナル争奪戦もともに17年末には惨たんたる敗北に終わろうとしていた。航空作戦の不如意が、その根本的な原因であった。補助戦力と目されていた航空力は、今や戦場の王者となったのである。昭和18年に入ると、陸海軍は航空力の大拡充を開始した。問題は、このころに採用された航空要員が、いつごろ有能な空中戦士としての技能を習得し得るかであった。