第一編 特別攻撃隊の戦闘  序章 特攻作戦の概観

7. 特攻を支えた魂 7. 特攻を支えた魂

 毎日新聞社刊行の「一億人の昭和史」の中に、大西中将未亡人の談話が載っていた。「……話の途中で大西は、突然『いついかなる場合でも、前途有為な若者たちを死なしてはならない』というのです。私もその時は若かったものでございますから、それを聞いてちょっとおかしいと思いましてね。だって現実に、お国では若い人達をどんどん前線に送り出しているわけでございましょう。そのことを大西に申しましたら、私の顔をキッと見据えましてね、それっきり黙り込んでしまったんです。私としては、その場にどうしてもいたたまれない思いでした。……」その人が第1航空艦隊司令長官として、最初の組織的な航空特攻を指導したのである。

 関行男大尉が特攻隊長を引き受けたときの様子を、猪口力平氏はその著「神風特別攻撃隊の記録」の中で「……と、彼の手がわずかに動いて、髪をかき上げたかと思うと、頭を持ち上げて言った『ぜひ、私にやらせて下さい』すこしのよどみもない明瞭な口調であった。玉井中佐も、ただ一言『そうか!』と答えて、じっと関大尉の顔を見つめた。急に重苦しい空気が消えた。雲が散って月が輝き出たような感じだった。……」と記している。関大尉には母と彼の帰りを待つ美しい新妻があった。この二つの話の中には、特攻を命ずる者と、それを行う者の苦悩が見事に描き出されているように思われる。
 陸軍航空の場合でも、他の海・陸の特攻の場合でもそれは同様であった。特攻隊員たちは「俺が命を捨てることによって、愛する祖国、愛する妻子、尊敬する父母を護ることが出来るなら喜んで死ぬぞ」と覚悟したのである。そして彼等には他の人には出来ない飛行機あるいは潜航艇などを操縦する腕と、国民が心をこめて作り上げた飛行機、舟艇などが与えられていた。国を護る責任感と、同胞を愛する純粋な魂が特攻を支えた精神である。
 「祖国よ永遠に栄えあれ」と祈って発進して行った魂魄に護られて、戦後長きにわたる平和が続いた。この平和こそ、今日の日本繁栄の基盤であった。
 

陸軍航空特攻戦没者名簿の中に、読者は十数名の朝鮮出身者を見出されるであろう。当時朝鮮は日本に組み込まれていたけれども、彼等にとって祖国はやはり朝鮮であり、その文明に対する誇りがあった。今となっては彼等の心情を正確に述べることはできないが、次の二つの事項は事実として伝えることができると思う。すべて不屈の意志の持主であったことと操縦技術の練磨に不断の努力を怠らなかったことの二点である。
日本の統治下にありながら大和民族に後れはとらぬとする朝鮮人としての不屈の魂の伝統が、今日の韓国独立の根基となっているであろうし、技術習得に関する不断の努力が、今日の韓国経済発展の推進に寄与している。このように見るとき、朝鮮出身の特攻戦没者は、韓国の独立と発展の一つの礎石であったと言えないであろうか。
 日本の場合、右の事情は更に顕著であった。宿命の戦いではあったが、世界を相手に死を賭けて戦った不屈の魂は、平和の裡に生きつづけ、戦後の多くの困難を乗り切らせた。大東亜戦争時の兵器は、総じて連合軍に劣った。そのために多くの特攻隊を生むことになった。しかし、この間に日本はしだいに農業国から工業国に変ぼうした。指に血を滲ませて働いていた青少年は、やがて世界に誇り得る品質の工業製品を生み出すようになった。特攻時代から求め続けた科学技術の進歩への姿勢が、今日の日本の繁栄を築いた。このように見るとき「特別攻撃隊之頌」に言う「特別攻撃隊の戦闘は、真に至高至純の愛国心の発露として国民の胸奥に生き続け、また世界の人々に強い感銘を与え、わが国永遠の平和と発展の礎となっている」との文言が実感として受け止められる。
                          (生 田  惇)