1. 総  説 1. 総  説

 昭和16年12月18日大本営発表で、「……特殊潜航艇を以て編成せる我が特別攻撃隊は、警戒厳重を極むる真珠湾内に決死突入し、味方航空部隊の猛攻と同時に敵主力を強襲或は単独夜襲を決行し……」と、初めて特殊潜航艇というもの存在が明らかにされ、翌17年3月6日特別攻撃隊についての大本営発表では、

 「……この世界の心胆を寒からしめたる攻撃の企図は、攻撃を実行せる岩佐大尉以下数名の将校の着想にもとづくものにして……ひそかに各上官をへて連合艦隊司令長官に出願せるものなり。連合艦隊司令長官は慎重検討の結果成功の確算あり、収容の方策また講じ得るを認め、志願者の熱意を容れることとせり。…本壮挙に参加せる下士官また帝国海軍優秀者中の最優秀なる人物たり。いづれも参加将校の平素より固く信頼せる部下にして、各上官と生死をともにすることを念願しありしをもって、今回の企図に際しても特に志願者を募ることなく、淡々たる心境のうちに上官より、それぞれ隊員として参加せしめたき旨願出で、連合艦
隊司令長官より希望通り参加を命ぜられしものなり。爾来部内に対しても厳に機密を保持しつつ短時日の内に用兵者・技術者渾然一体となり工員に至るまで不眠不休昼夜兼行にて製造実験に、あるいは準備訓練に心血を注ぎたる結果、今次開戦に先立つ緊急の際に完成を見たるものにして、攻撃に参加せる将士の尽忠無双の精神および技術工作関係者の熱誠とともに帝国海軍の卓越せる技術を広く世界に誇るにたらん。……」
 として特別攻撃隊の誕生の経緯について概要を国民に明らかにしている。然しその性能要目は勿論作戦行動、教育訓練基地等については終戦まで厚い秘密のベールに包まれたままで、海軍部内においても極めて限られた関係者のみにしか知らされていなかったものである。
 このいわゆる特殊潜航艇は、当初洋上艦隊決戦用に考案されたが、艦隊決戦には使用の場なく、戦局の推移に伴って用兵思想の変遷があり、それに応じて兵器の性能要目にも改善が加えられ、当初の二人乗り約四六噸から終戦時の五人乗り約六〇噸のものへと変って来た。名称についても、開発段階においては秘密保持のため、対潜爆撃標的、TB模型等と呼ばれ、潜水艦搭載用のものを特型格納筒あるいは単に筒と呼称されたが、正式名称としては五人乗りのものを蛟龍(甲標的丁型)、それ以前のものは甲標的と称した。特殊潜航艇というのはこれらを総称した通称名である。