第三編 顕彰譜

新春のお慶びを申し上げます 新春のお慶びを申し上げます

(特攻隊戦没慰霊顕彰会会員)
衆議院議員 中西 哲

 昨年はコロナウィルス感染の急拡大で大変な一年でした、この原稿を書いている段階(11月25日)では、米国や英国で有効なコロナワクチンや治療薬の開発が進み、近いうちに市販されるとのニュースが流れておりますので、今年はこの騒動が早期に収まり、通常の生活に戻れる事を願っております。

 私が特攻隊戦没者慰霊顕彰会のことを知ったのは、当会の役員であります元海上幕僚長の藤田幸生氏が、私の卒業した高知高校の大先輩であり、大変お世話になっていることがきっかけでした。

 小学生の頃から、海軍主計兵として上海航空隊に配属された父の影響で、特攻隊で戦没された皆様のことは尊敬しておりました。

 父は戦死した戦友や故郷の友人達に対する思いが強かったのでしょう。子供の頃から、父に連れられて戦争映画を頻繁に見に行った記憶が残っています。

 父はその当時戦争の話は何もしなかったと思いますが、私の心には戦没者を尊敬する思いが自然と培われたのだと思います。

 特攻隊の事を本格的に勉強し始めたのは、大学生時代に草柳大蔵氏の書いた「特攻の思想」を読んでからでした。

 大西瀧治郎海軍中将の生涯に感銘を受け、横浜市鶴見区にある総持寺にお墓参りに行きました。広い墓地で、大西中将のお墓を捜していたら、墓掃除をしている初老の女性がいて、学生服姿で花を抱えてうろついている私に向かって「学生さん、誰の墓を捜しているんだい」と声をかけてくれたので、「大西瀧治郎元海軍中将のお墓です」と言ったら、「ああ、そこだよ」とすぐ側のお墓を教えてくれました。
 その後で「この人は立派だよね、責任とって腹を切って死んだんだから」と言いました。
 それ以来大西中将の残された「特攻隊の英霊に申す善く戦いたり深謝す最後の勝利を信じつつ肉弾として散華せり

 然れどもその信念は遂に達成し得ざるに至れり・・・」という遺書を暗記し、常に思い起こしております。
その後、大学生時代には靖国神社を頻繁に訪れ、特攻隊員の遺書や、大西中将と阿南陸軍大臣の血染めの軍服や遺書などの遺品の展示を見ました。

 また、高知県議会議員時代には、霞ヶ浦の予科練平和記念館、山口県大津島の回天記念館、鹿児島県鹿屋の海上自衛隊基地にある特攻史料館、知覧の特攻平和会館を訪れ、隊員の遺書を読みました。
胸を打たれる内容ばかりで、なによりも二十歳前後の若者があの内容の遺書を、素晴らしい字体で書ける当時の教育に感銘を受けました。

 また、高知県遺族会の皆様にご一緒させて頂き、昭和19年レイテ島攻防戦において初めて神風特別攻撃隊へ出撃したフィリピン・ルソン島のマバラカット飛行場跡地にある、特攻隊員の像にも二度お参りしました。

 祖国防衛のために戦い散華された特攻隊の英霊の皆様を顕彰し、その行動を後世に伝えていかなければならないと考えております。

 顕彰会の皆様と共に活動をさせて頂きたいと思います。宜しくお願い致します。