第三編 顕彰譜

令和2年度長野縣護國神社特攻勇士の慰霊祭に参列して 令和2年度長野縣護國神社特攻勇士の慰霊祭に参列して

理事 鮒田 英一

 令和2年10月10日、長野縣護國神社(松本市松本市美須々)における「特攻勇士の慰霊祭」に参列した。

 強い台風14号の北上接近に伴い、前日から信越地方は雨域に入り、当日午前中は篠突く雨となった。慰霊祭の成り行きを心配したが、英霊のご加護の賜物か、台風は予想進路から一転して南下し、正午には雨が上がり、野外での慰霊祭は14時から予定通り実施された。

 今年は新型コロナウイルス感染防止のために、各地における慰霊行事は中止ないし規模を縮小しての開催となったところが多い。本慰霊祭も、当初は神職、総代ほか一部関係者の方々のみによる斎行予定であったが、当会が特攻勇士之像を奉納させていただいたご縁から、奥谷宮司のご厚意により東京からの参列を特別にお許しいただいた。

 特攻勇士之像は、約1万坪を誇る広い境内の中において、本殿正面前の石畳の参道間近に建立されている。当日、神社境内には七五三を祝う家族連れや参道沿いの露店商関係者の姿が見られた。今年はコロナ感染により県内の様々な行事が中止となり、特に露店商は営業を規制されたという。そのため例年は露店が連なることはない本神社ではあるが、感染状況が少し収束した時期を見計らい、地域活性化と疫病退散の願いを籠め、特に露店の出店が企画されたとのことであった。

 特攻勇士之像の前には、地元崇敬者奉賛会会長、地元国会議員代理、長野県隊友会会長など十数名が参列した。祭典は、修祓の儀、降神の儀、献饌、祝詞奏上、祭主及び参列者による玉串奉奠、撤饌、昇神の儀の順により厳粛に執り行われた。

コロナ禍であり、祭典中止の選択もあり得たであろうが、宮司様を始めとして関係者の皆様の熱意により、参列者の規模縮小という制約された条件下で、例年どおり、特攻勇士をお祀りする慰霊祭を斎行してくださったことは、誠に意義深く有難い限りであった。こうした地元の方々のご熱意のもと、本慰霊祭は末永く続いていくであろうと思われる。

 この日は、コロナ感染防止の観点から、例年とは異なり直会を通じた意見交換の機会は設けられず、祭事終了後、参列者は速やかに解散した。すがすがしい雨上がりの境内には、子供連れの参詣者や露天商関係者の声で賑わいと活気が見られ、特攻勇士の慰霊には、この上なく佳き日和であった。