第三編 顕彰譜

宮崎縣護國神社での「特攻勇士之像」前での慰霊祭 宮崎縣護國神社での「特攻勇士之像」前での慰霊祭

副理事長 岩﨑茂

 まだまだコロナ禍が収まらない3月28日に宮崎縣護國神社に奉納された「特攻勇士之像」前での特攻隊員を偲び慰霊祭(以降「宮崎県特攻隊慰霊祭」)が執り行われた。

 私達、「特攻隊戦没者慰霊顕彰会」(以降、「特攻慰霊顕彰会」)は日本各地の護國神社に「特攻勇士之像」の寄贈を決定し、平成19年(2007年)4月の鹿児島縣護國神社を皮切りに、これまでに19体の「特攻勇士之像」を奉納してきている。この宮崎縣護國神社に「特攻勇士之像」が奉納されたのが、平成31年3月28日(2019年)であった。現在の第126代徳仁天皇が即位される直前であった。今年の3月で二年経過した事になる。この「特攻勇士之像」を宮崎縣護國神社に奉納した時に、今後の「宮崎県特攻隊慰霊祭」は、この日に因み3月28日とすることが決められ、今年も同日に行われた。私は、この為、靖國神社での慰霊祭終了後、羽田に直行し、「宮崎県特攻隊慰霊祭」に臨んだ。宮崎空港に到着した際には、晴天に恵まれ、関東に比較し、かなり暖かく、上着では寧ろ暑いくらいであった。ところが、夕刻以降、雲が多くなり、翌日は早朝からかなりの土砂降りであった。しかし、慰霊祭の時間が近づくに従い、徐々に雨が小降りとなり、慰霊祭の開始時前には、完全に雨が上がり、次第に暖かくなってきていた。しかし、昨夜からの雨で、「特攻勇士之像」前の地盤が若干ゆるんでいたこともあり、今回は、宮崎縣護國神社本部雅裕宮司のご配慮で、護國神社の神殿内で執り行われた。残念ながらコロナ禍でもあり、参加者を規制しており、現役自衛官等は参加していなかったものの、慰霊行事の三浦委員長を初めとして、宮崎県選出の国会議員の方々、県議会議員、宮崎縣護國神社関係者等が集い、慰霊行事を行うことが出来た。我が「特攻勇士之像」は、永峰肇・海軍飛行兵曹長の慰霊碑の横に奉納されている。永峰兵曹長は、神風特別攻撃隊敷島隊(最初の特攻隊:昭和19年10月25日フィリピン・マバラカット西飛行場からの出撃)の四番機としての出撃であった。享年19歳である。慰霊碑には、「南溟にたとへこの身が果つるともいくとせ後の春を想えば」との遺詠が刻まれている。当にこの春の事か? 宮崎県では陸軍・海軍の総計70名が特攻で命を捧げられた。ここに御英霊に対し哀悼の誠を捧げますとともに、謹んでご冥福をご祈念申し上げます。