理事 鮒田 英一
令和3年10月26日(火)、長崎縣護國神社に21体目の「特攻勇士之像」を奉納致しました。これに先立ち10月22日(水)に入魂祭が斎行され、26日の秋の例大祭日に合わせて除幕式が実施されました。
こよなき好天に恵まれ、式典には約100名が参列。反田邦彦・特攻隊戦没者慰霊碑建立実行委員会委員長から、建立の経緯や趣旨の説明が行われたのち、中村法道・長崎県知事、古賀友一郎・参議院議員、坂本智徳・長崎県議会議長、三好德明・元長崎県議会議長、反田邦彦・実行委員長及び当顕彰会理事長・藤田幸生により除幕の引き綱が引かれました。
お披露目となり秋の陽射しを浴びた特攻勇士之像の前で、「海ゆかば」が演奏され、来賓として中村県知事、古賀参議院議員に続き、当顕彰会の理事長藤田が挨拶を申し上げました。
その後、詩吟奉納、剣舞披露、「軍艦マーチ」演奏と続き、最後に参列者に総員による弥栄三唱が行われました。
ご尽力いただきました長崎縣護國神社と特攻隊戦没者慰霊碑建立実行委員会の皆さまに心より感謝申し上げます。
中村県知事らによる除幕
長崎縣護國神社社殿と「特攻勇士之像」
式典後、テレビ局から取材を受ける反田実行委員長
除幕式の様子は、
産経新聞 https://www.sankei.com/article/20211026-5ZXJX2N65ZIWLOVYWO2TO2OXTQ/
長崎新聞 https://nordot.app/825905329509662720?c=174761113988793844
長崎文化放送 https://www.ncctv.co.jp/news/94805.html
などで紹介されています。
長崎縣護國神社について
明治2年、長崎市梅ヶ崎の地に戊申戦争で戦死した43柱の英霊を奉斎し梅ヶ崎招魂社が創建された。また明治7年、長崎市佐古の地に台湾の役の戦没者536柱を奉斎し佐古招魂社が創建された。昭和17年両社を併せ長崎縣護國神社と改称し、護国神社の指定を受ける。
昭和19年10月、現在の城山の地に本殿以下竣功し遷座祭を斎行するも、翌昭和20年8月9日、原爆により不幸にも本殿以下悉く焼失し灰となり、仮殿を営み祭祀を続けて、昭和38年(1963年)10月に再建され、現在のたたずまいとなっている。