第一編 特別攻撃隊の戦闘  第2章 陸海軍航空特別攻撃隊

6. 本土近海対機動部隊戦闘 6. 本土近海対機動部隊戦闘

沖縄戦の終了とともに、日本近海への敵機動部隊の動きが活発さを加えた。B29 の各都市無差別爆撃とともに、日本国民全体にとって重大な脅威であった。特攻隊の主力は、敵の本土上陸に備えて動かなかったが、機動部隊に対しては、特攻隊の一部が好機を捉え出撃した。


7月25 日、敵機動部隊の動静を捉えた木更津の第7御盾隊第1次流星隊森大尉以下七名(流星四)が大王崎南東洋上の敵機動部隊に突入して還らなかった。敵機動部隊の接近である。
果たして8月1日以降連続して敵機動部隊が数百機の艦載機をもって東北および関東地方に来襲した。

8月9 日、釜石が午後一時ごろから三時ごろまで艦砲射撃を受けた。
木更津にあった第 7御盾隊第2 次流星隊(流星六)林中尉以下十二名と百里原にあった第4御盾隊(彗星七)中村中尉以下十三名がこの敵艦隊を索めて出撃、金華山東方洋上で特攻戦没した。
陸軍でも岩手飛行場に待機していた第255 神鷲隊(双軽二)吉村中尉以下三名が敵艦に体当たりを敢行した。

8月13 日、敵機動部隊の一群が犬吠埼の七十度、一〇〇粁に発見された。木更津の第7 御盾隊第3次流星隊(流星四)元中尉以下八名、陸軍では那須野飛行場から第201 神鷲隊(双襲二)小川中尉以下三名、また第10飛行師団神鷲隊の鶴岡少尉もこの敵に突入した。同夜海軍索敵機は銚子沖に炎上中の敵空母、巡洋艦各一を発見した。


同日金華山沖の敵機動部隊に百里原から第4 御盾隊(彗星四)小城中尉以下八名が突入した。また、伊豆半島の下田も敵の艦砲射撃を受けていた。相模飛行場の第398 神鷲隊( 95練)本田曹長以下二名が第 1錬成飛行隊後藤軍曹の掩護を受けて出撃した。この三機は全機が体当たり攻撃を敢行したものと認められた。


15日、終戦の日である。木更津から第7御盾第4 次流星隊(流星一)縄田一飛曹以下二名が勝浦の東南方約二百浬の目標に、百里原から第4御盾隊(彗星八)谷山中尉以下十六名が関東東方洋上に敵を索めて出撃したまま還らなかった。
かくの如く、終戦の瞬間に至るまで日本全域に配備された特攻隊員は烈々たる闘魂を保持していた。