第一編 特別攻撃隊の戦闘  第3章 回天

2. 回天隊の編成 2. 回天隊の編成

回天の正式採用に先立つ昭和19年7月10日、呉軍港港外倉橋島P基地内に長井満海軍少尉を司令官とする第1特別基地隊が発足した。水雷参謀板倉少佐が回天隊の訓練指揮官を兼ねた。次いで9月13日水雷学校長大森仙太郎中将が特攻部長兼務となり、水中水上特攻隊の業務を推進した。


 19年9月1日山口県徳山湾外大津島に回天基地が開設され、9月5日から訓練を開始した。次いで11月25日光回天基地(山口県)解説、12月1日から訓練を開始した。越えて20年3月1日平生回天基地(山口県)解説、5月15日大神回天基地(大分県)が開設した。


 基地建設の進捗に伴い、昭和20年3月1日長井満少将を司令官とし、第1特別基地隊を吸収して第2特攻戦隊が発足した。(第1特攻戦隊は3月20日横須賀で、第3特攻戦隊は3月1日川棚で発足している)前述各吉は光突撃隊(中村二郎大佐)、大津島分遣隊(板倉光馬少佐)、平生突撃隊(沢村成二大佐)、大神突撃隊(山田盛重大佐)となった。


 第2特攻戦隊は呉鎮守府司令長官の指揮下にあったが、潜水艦による回天作戦はすべて第6艦隊が実施した。突撃隊から人員、機材を艦隊に転属して作戦を実施したのである。このため、第6艦隊と第2特攻戦隊は密接な連携をとりながら共同訓練を実施した。


回天搭乗員 搭乗員はすべて志願によった。最初は甲標的(蛟龍)、特四内火艇の搭乗員などから採用したが、後に航海学校、対潜学校、九州川棚の魚雷艇訓練所や、土浦空、奈良空、宝塚空などから募集した。搭乗員の出身別は次のとおり。


  出身  搭乗員数 内戦没数 

海軍兵学校        八九  一九
海軍機関学校       三二  一二
学徒出身        一九六  二六
一般兵科          九   九
甲種飛行予科練習生   九三五  四〇
乙種飛行予科練習生   一〇〇   〇
        計 一、三六一 一〇六