第一編 特別攻撃隊の戦闘  第3章 回天

3. 回天の訓練 3. 回天の訓練

回天は、上げ下げ自由な一メートルの潜望鏡を備え、潜航、浮上、変針、変速が自在で、一定の深度、速度を保ちながら自動的に操縦するようになっていた。これを操縦し敵艦に体当たりする搭乗員には、潜水艦の艦長のような技能と練度を必要とした。


 前述のように回天基地の開設とともに訓練が開始された。各基地とも一回の訓練は一~二時間であった。発射場から回天が発進すると、訓練の成果確認と危険防止のため見張員の乗った内火艇、魚雷艇震洋艇等が追躡艇として回天のあとを追い、飛行機も上空から監視した。


 訓練は日出前から日没後まで休みなく行われた。しかし訓練海域、訓練用回天の数に制限され、しかも機材の整備に時間がかかったため、一日の訓練本数は一基地15~20基で、搭乗員の養成は容易には進まなかった。


 訓練は同乗訓練の後単独訓練に進み、次表の訓練課程で実施した。航行艦襲撃訓練には駆逐艦などが標的艦として協力した。

 

訓練中の殉職者 昭和19年9月6日、訓練開始二日目の夕刻、荒天をついて訓練に出発した黒木、樋口両大尉搭乗の回天は帰投予定時刻を過ぎても浮上しなかった。基地隊は総力を挙げて捜索したが発見できず、翌7日10時予定コース上で気泡を発見、引き揚げたが二人は既に絶命していた。


 訓練開始直後に発生したこの事故は、創始者黒木大尉の死とともに回天部隊の前途に暗影を投げかけたかと思われた。しかし眠ったような二人の遺体と、艇内に書き残した壮絶なその遺書は、隊員の間に凄まじい感動と闘志を巻き起こした。黒木大尉が絶命するまでに回天内で書いた二千余文字の遺書には、事故発生の状況、応急処置、事後の経過、今後の対策等を冷静に記述して余すところなく、しかも国を思う至情で貫かれ、読む者に絶大な感銘を与えた。実に黒木大尉の死が、その後の回天作戦の実行を可能ならしめたのである。


 「黒木に続け」の合言葉のもと、隊員達は訓練に邁進したが、終戦までに15名の殉職者を生じている。体当たり成功を一途に念じて訓練に邁進した隊員達であったが、その途次に斃れたことが悼まれる。

回天搭乗訓練項目