第一編 特別攻撃隊の戦闘  第3章 回天

4. 回天の作戦 4. 回天の作戦

回天は、潜水艦に搭載して敵の主要泊地を奇襲し、確実な大戦果を得ることを期待して運用された。しかし敵の防備に阻まれて母艦の損害が急増し、且つは戦局の急展開もあって、洋上での航行艦攻撃に転換した。最後には、米軍の上陸作戦に備えて基地回天隊を要地に配備して終戦を迎えるのである。

 

泊地攻撃

回天特別攻撃隊菊水隊 昭和19年11月8日午前9時、伊36、伊37、伊47三隻の潜水艦が第15潜水隊司令揚田大佐に率いられて大津島を出港した。目指すは比島作戦の米根拠地ウルシー・パラオ海域である。各艦には四基の回天が搭載されていた。


 伊36潜(艦長寺本巌少佐)は、11月20日午前4時54分ウルシー環礁北方水域で今西艇を発進、5時45分に大爆発音を聴取した。他の三艇は機械の故障で発進できなかった。
 伊47潜(艦長折田善次少佐)は、11月20日午前4時15分仁科艇を、次いで五分間隔で佐藤艇、渡辺艇、福田艇をウルシー環礁南方水域から発進させた。5時7分、5時11分にそれぞれ大火柱を望見、5時52分に爆発音を聴取した。


 伊37潜(艦長神本信雄中佐)は、回天四基を搭載しパラオ島コッソル水道に向かったまま消息を絶った。(米軍資料によると攻撃予定日の前日11月19日の午後コッソル水道西口で沈没している)回天搭乗員上別府大尉、村上中尉、宇都宮少尉、近藤少尉のほか整備員時田久美上曹、土井完治上曹、前原茜上曹、栗本晃二曹と艦長以下一一二名の乗組員が戦死した。
 かくて回天最初の特攻、菊水隊の戦闘は終り、その戦果は絶大なものと判断された。

菊水隊がウルシー泊地を攻撃した。 炎上する米油槽艦「ミシンネワ号」 (昭和19年11月20日未明)

回天特別攻撃隊金剛隊 12月下旬から20年1月中旬にかけて行われた金剛隊の作戦の目的は、回天二四基によって広く太平洋上主要米基地を襲い、米艦隊に大打撃を与え、その進攻をくい止めることにあった。


 伊36潜(艦長寺本巌少佐)は、12月30日大津島を出港、20年1月12日ウルシー環礁泊地に向け全回天の発進に成功した。加賀谷艇、都所艇、本井艇、福本艇はそれぞれ戦果を挙げたと判断された。


 伊47潜(艦長折田善次少佐)は、12月25日大津島を出港、20年1月12日未明ニューギニア北岸のホランジャ沖で全回天の発進に成功した。川久保艇、原艇、村松艇、佐藤艇はそれぞれ戦果を挙げたと判断された。


 伊53潜(艦長豊増清八少佐)は、12月30日大津島を出港、20年1月12日午前4時パラオ島コッソル水道で久住艇を発進させたが、発進直後海中で気筒爆発を起してしまった。続く有森艇、伊東艇は順調に発進した。久家艇にはガス漏洩が起こり発進できなかった。


 伊56潜(艦長森永正彦少佐)は、12月21日大津島を 出港、アドミラルティ諸島のゼアドラー泊地に向かったが、敵の警戒が極めて厳重で発進点まで侵入できず攻撃を断念して帰投した。


 伊58潜(艦長橋本以行少佐)は、12月30日大津島を出港、1月12日早朝グアム島アプラ港に対し全回天の発進に成功した。石川艇、工藤艇、森艇、三枝艇の四艇はそれぞれ目的を達したと判断された。


 伊48潜(艦長当山全信少佐)は20年1月9日回天四基を搭載して、大津島を出港、ウルシー環礁に向かったまま消息を絶った。(米軍資料によると1月23日米駆逐艦の攻撃により沈没している)回天搭乗員吉本中尉、豊住中尉、塚本少尉、井芹一曹のほか、同整備員新井貞雄一曹、松尾正男一曹、秦隆造二曹、川津芳吉兵長と艦長以下一一八名の乗組員が戦死した。

 

回天特別攻撃隊千早隊 昭和20年2月19日米軍は硫黄島に上陸した。連合艦隊は第六艦隊に出撃を命じた。直ちに回天一四基による千早隊が編成された。


 伊368潜(艦長入江三輝少佐)は、2月20日午前回天五基を搭載して大津島を出港、硫黄島に向かったがそのまま消息を絶った。(米軍資料によれば2月27日硫黄島西方海域で爆撃により沈没している)回天搭乗員川崎中尉、石田少尉、難波少尉、磯部二飛曹、柴崎二飛曹、および同整備員黒川文男一曹、浜本安雄二曹、関儀政二曹、重松正市兵長、岩崎繁行兵長と艦長以下七九名の乗組員が戦死した。


 伊370潜(艦長藤川進大尉)は、2月20日五基の回天を搭載して光基地を出港して硫黄島海域に向かったまま消息を絶った。(米軍資料によれば2月26日硫黄島南方海面で米駆逐艦の攻撃により沈没している)回天搭乗員岡山少尉、市川少尉、田中少尉、浦佐二飛曹、熊田二飛曹、同整備員菅原今朝松一曹、亀田武雄一曹、森正夫兵長、荒木七五三一兵長、寺西亨兵長と艦長以下七九名の乗組員が戦死した。
 伊44潜(艦長川口源兵衛大尉)は、2月22日大津島を出撃したが突入の前夜敵に発見され、ついに突入の機を得ず帰還した。

 

回天特別攻撃隊神武隊 次いで回天八基を伊36潜、伊58潜に搭載する神武隊が編成された。
 伊36潜(艦長菅昌徹昭少佐)は、3月2日大津島から、伊58潜(艦長橋本以行少佐)は、3月1日光基地から激戦の硫黄島に向かったが、途中で作戦の変更があり、突入を中止して帰還した。

 

回天特別攻撃隊多々良隊 3月18日米軍は中国・四国・九州の陸海軍基地を空襲ののち、3月23日には沖縄に来襲し、4月1日、米攻略部隊は沖縄に上陸を開始した。連合艦隊は先ず潜水艦部隊を、次いで回天部隊を出撃させた。回天二〇基より成るこの部隊が多々良隊である。なお、4月6日水上特攻として出撃した大和以下十隻の水上艦艇は4月7日徳之島近海にその姿を没している。


 伊47潜(艦長折田善次少佐)は、3月29日回天六基を搭載して光基地から出撃したが、翌3月30日種子島東方海上で敵機および駆潜艇と交戦、相当の被害を受けたので作戦を中止して帰還した。


 伊56潜(艦長正田啓二少佐)は、3月31日回天六基を搭載して大津島から出撃したがそのまま消息を絶った。(米軍資料では4月5日久米島沖で米駆逐艦と飛行機の攻撃で沈没した)回天搭乗員福島中尉、八木少尉、川浪二飛曹、石直二飛曹、宮崎二飛曹、矢代二飛曹、同整備員熊野義隆一曹、谷村昌寿二曹、桑原竹二二曹、沢井滝夫兵長、遠坂末喜兵長、物部信一郎兵長と艦長以下一一六名の乗組員が戦死した。


 伊58潜(艦長橋本以行少佐)は、3月31日光基地から出撃、沖縄西方から那覇泊地を狙ったが敵の警戒が厳重で攻撃の機会なく帰投した。


 伊44潜(艦長増沢清司少佐)は、4月3日回天四基を搭載して大津島を出撃したまま消息を絶った。(米軍資料によると沖縄東方海上で4月17日夜から18日午後まで米駆逐艦や爆撃機の攻撃を受け沈没した)回天搭乗員土井中尉、亥角少尉、館脇少尉、菅原二飛曹、同整備員西山隆一曹、赤星敏夫一曹、伊藤二三男兵長、野口藤太郎兵長と艦長以下一二六名が戦死した。
 かくて、沖縄への回天特攻作戦は終わった。

回天特攻作戦図

 洋上攻撃

 

回天特別攻撃隊天武隊 広い洋上で自由自在に敵艦船を攻撃するのが潜水艦本来の用法であった。回天は泊地の奇襲を主眼としたが、このため出撃潜水艦の被害が相次ぎ、従って回天の攻撃も思うに委せなかった。このため回天の洋上での使用が検討され、伊36、伊47両潜水艦に各々回天六基を搭載し航行艦襲撃を実施することになった。この回天特攻隊を天武隊という。航行艦襲撃訓練には駆逐艦が目標艦として協力した。


 伊36潜(艦長菅昌徹昭少佐)は4月22日光基地を出港、沖縄とサイパンを結ぶ中間点に向かった。4月27日夜明け前、遙か水平線上に一団の黒い影を発見「魚雷戦用意、回天戦用意」を下令した。士官室に待機中の六名の搭乗員は直ちに乗艇。艦長は船団の状況、針路、方位角、速力等を搭乗員に告げ攻撃目標を指示した。距離七千米、艦長は回天の発進を命じた。八木中尉、安部二飛曹、松田二飛曹、海老原二飛曹搭乗の回天が発進して行った。発進後10分大爆発音が聴取され、続いて二、三、四発目の大爆発音が聴取された。久家少尉と野村二飛曹の回天は故障のため発進できなかった。


 伊47潜(艦長折田善次少佐)は、4月20日光基地を出港、沖縄とウルシーを結ぶ中間点を目指した。27日には伊36潜の戦果を受信しその成功に沸いた。5月1日夜輸送船を発見、魚雷四本を発射して三発の爆発音を確認した。
 5月2日午前9時30分音源発見「魚雷戦、回天戦用意」を下令。搭乗員六名は直ちに乗艇発進用意を完了した。音源方向七千米に駆逐艦二隻、一万米に輸送船二隻を発見した艦長は魚雷戦を諦め、柿崎艇と山口艇に発進を命じた。発進後21分大爆発音が響き、25分後には二発目の大爆発音が続いた。続いて別の音源を聴取して二隻の駆逐艦が発見された。艦長は古川艇に発進を命じ、その発進後48分、回天の突入音の直後、大爆発音が響いた。
 5月6日午前10時音源を捉え、艦長は「魚雷戦、回天戦用意」を下令。前田、横田、新海の三名は乗艇待機した。八千米に軽巡洋艦を発見、前田艇に発進を命じた。発進24分後大爆発音が響いた。横田艇と新海艇の発進は電話故障のため取止められた。
 天武隊の大戦果は回天作戦の前途に大きな光明を投げかけたが、このとき残存する潜水艦は大型四隻、輸送四隻、旧式一隻計九隻に過ぎなかった。

光基地を出港する天武隊の「伊47 潜」(昭和20年4月20日)

回天特別攻撃隊振武隊 20年5月初め、伊366潜と伊367潜両艦で振武隊が編成されたが、5月6日訓練中の伊366潜がB-29の敷設した機雷に触れて損傷、振武隊は伊367潜一隻となった。艦長は武富邦夫少佐、搭載回天は五基である。
 5月5日、伊367潜は大津島を出撃、サイパン北西海域を目指した。5月27日午前9時、敵輸送船団を発見「回天戦用意」が発令され、搭乗員が乗艇したが、藤田艇、吉留艇は操舵機故障、岡田艇は主機械故障で発進できなかった。千葉艇、小野艇の二艇が発進、9時51分二つの爆発音を聴取した。

 

回天特別攻撃隊轟隊 5月下旬から7月上旬にかけて轟隊が編成された。伊361潜(艦長松浦正治大尉、回天五基)、伊363潜(艦長木原栄少佐、回天五基)伊36潜(艦長菅昌徹昭少佐。回天六基)、伊165潜(艦長大野保四少佐、回天二基)の編成である。


 伊361潜は、5月24日回天五基を搭載して光基地から出撃したまま消息を絶った。(米軍資料によると、5月30日沖縄南東海域で米護衛空母艦載機の爆撃により沈没した)回天搭乗員小林中尉、金井一飛曹、斎藤一飛曹、田辺一飛曹、岩崎一飛曹、および同整備員釜野義則二曹、梅下政男二曹、坂本茂兵長、高沢喜一郎兵長、藤原昇兵長と艦長以下七六名の乗組員が戦死した。


 伊363潜は、5月28日光基地を出撃した。回天の使用困難な荒天下に輸送船を発見し、魚雷で撃沈した。その後も敵を索めたが荒天が続き、会敵の機会なく帰投した。


 伊36潜は、6月4日10時大津島を出港しマリアナ東方海域に向かった。6月24日大型船を発見「回天戦用意」を下令したが、連日の荒天により回天の機械故障で発進できず、普通魚雷を命中させた。回天六基全部が故障しており、修理の結果一、二、五号艇が使用可能となった。
 6月28日午前10時音源を聴取「回天戦用意一号艇乗艇」を令した。池渕中尉は距離六千五百米で発進した。敵は回天を発見した模様で、ジグザグ運動を行いこれに猛射を加えた。艦長は潜望鏡にしがみついて敵艦を追う。「推進器官、感四、近い」聴音手が叫んだ。潜望鏡を廻すと駆逐艦が視野一杯に追ってくる。「潜望鏡下ろせ、深さ40、急げ」艦が潜航を始めると同時に直上を駆逐艦が通過、爆雷投下、猛烈な爆発音が艦を上下左右に叩きつけた。数次の攻撃で艦も回天も各所に故障が発生、漏水が始まった。久家少尉は回天の発進を艦長に迫った。久家少尉必死の願いに艦長は「二号艇、五号艇発進用意」と令した。久家少尉、柳谷一飛曹は直ちに乗艇したが電話故障で連絡が取れない。艦長は退艇を命じた。その間爆雷攻撃は六回目、七回目と続き絶対絶命と思われた。艦長は「再乗艇、発進用意」を指示、二人は半ば故障した回天を発進させた。二基の回天は浮上し、敵艦を視認すると突撃を開始した。死闘七分、大爆発音が轟いた。敵の攻撃はやんだ。
 伊36潜は応急修理の後、無事帰投した。


 伊165潜は、6月15日回天二基を搭載して光基地を出港マリアナ方面に向かったがそのまま消息を絶った。(米軍資料によれば、6月27日サイパン東方海域で哨戒機の攻撃を受け沈没)回天搭乗員水知少尉、北村一飛曹、同整備員安部福平一曹、恵美須忠吉二曹と艦長以下一〇四名の乗組員が戦死した。

 

回天特別攻撃隊多聞隊 多聞隊は、伊53潜(艦長大場佐一少佐、回天六基)伊58潜(艦長橋本以行中佐、回天六基)伊47潜(艦長鈴木正吉少佐、回天六基)伊367潜(艦長今西三郎大尉、回天五基)伊366潜(艦長時岡隆美大尉、回天五基)伊363潜(艦長木原栄少佐、回天五基)の編成であった。
伊53潜は、7月14日大津島を出港、沖縄とレイテの中間点を目指した。7月24日午後2時、艦長は北上中の輸送船団を発見「回天戦用意」を発令、勝山艇が発進した。7月29日には川尻艇、8月4日には関艇、荒川艇が発進した。これにより輸送船三隻、駆逐艦一隻を撃沈した。(米軍資料には駆逐艦アンダーヒルの人間魚雷による沈没を記録している)

光基地を出港する轟隊の「伊165 潜」(昭和20年6月15日)
伊58潜は、7月17日朝平生基地を出港したが、回天の潜望鏡に不備を発見したので交換の後18日朝再度出撃した。7月28日午後、沖縄南方海上で駆逐艦とタンカーを発見「回天戦用意」を下令した。2時31分小森艇、2時43分伴艇が発進した。50分、さらに10分後に大爆発音が聴取された。翌29日午後11時すぎ大型艦を発見、魚雷六本発射、うち三本を命中、撃沈した。(戦後これが広島、長崎に投下された原子爆弾をテニアンに運んだ巡洋艦インディアナポリスと判明)
 8月10日沖縄南東海域で輸送船団を発見、回天二基を発進させた。水井艇は輸送船を、中井艇は駆逐艦を轟沈した。更に北上を続け8月12日夕刻敵大型艦を発見。林艇が発進して6時42分命中した。
 7月19日、伊47潜は光基地を、伊367潜は大津島を出港したが、連日の荒天に阻まれて敵を発見できず、8月11日と16日光に帰投した。


 伊366潜は、8月1日光基地を出撃、沖縄南東海域に向かった。11日午後5時30分ウルシーから沖縄に向かう輸送船団を発見「回天戦用意」を下令した。二基は故障で発進を中止、成瀬艇、上西艇、佐野艇が発進。30分後に爆発音三つを聴取した。


 伊363潜は、8月8日光基地を出撃、沖縄東方海域に向かった。9日ソ連の参戦で作戦海域を日本海に変更された。移動中米軍機の銃撃を受けて損傷し、8月18日光に帰投した。

 

回天特別攻撃隊神州隊 伊159潜(艦長三宅辰夫大尉、回天二基)による特攻隊である。
 8月16日平生基地を出港、日本海に向かったが、終戦による帰投命令を受け、8月18日平生に帰投した。