第一編 特別攻撃隊の戦闘  序章 特攻作戦の概観

特別攻撃隊全史の刊行に当たって 特別攻撃隊全史の刊行に当たって

 財団法人特別攻撃隊戦没者慰霊平和祈念協会の前身である特攻隊慰霊顕彰会が、平成二年に『特別攻撃隊』を刊行して以来、三版を重ねましたが、協会は、更に改訂を加えて平成十五年に四版を刊行しました。しかしながら、英霊芳名欄に空白が目立つ状態は、大きく改善されることなく終わっております。

 多くの資料が終戦前後に散・焼失して、止むを得ないこととは言え、このような不完全な内容のままに本書を後世に遺すことは、まことに遺憾なことであり、かつ、本文中にも若干加筆すべき箇所もあって、協会としては、戦争体験世代の会員が元気である間に、最後となる改訂五版を刊行することにいたしました。

 旧軍に関係した会員は減少の一途を辿り、残った会員も傘寿を超えるに至った現在、なお多くの空白を残したままで終わらざるを得なかったことは、遺憾に堪えません

 次に、世上「大和特攻」という言葉が喧伝されて久しいのに、『特別攻撃隊』は、従来、大和以下第二艦隊の沖縄出撃に関しては、全く触れておりません。

 これは、小澤治三郎聯合艦隊司令長官の、「第一遊撃部隊の大部」に対する全軍布告が、昭和二十年七月三十日に発せられながら、それに続く二階級特進措置が取られなかった結果、昭和二十七年に特攻平和観音奉賛会が設立されて、観音像の胎内に、特攻戦死者の霊名簿を奉納する時に至るまで、当時の海軍関係者から、一切問題提起が行われなかったことによります。

 しかしながら、近年になって、旧海軍関係会員の中から、第二艦隊に対する出撃命令には、特攻と明記されていて、戦死者はその認識の下に戦死を遂げたのであるから、特攻戦没者と見なすべきではないか、という意見が提起されました。

 調査と討議を重ねた結果、「大和」以下第二艦隊の戦死者は特攻戦没者として本書に収載すべきであるとの結論に達しました。このことで、大東亜戦争末期、我が国が死力を尽くして戦った特攻作戦の全貌が、より正確に後世に伝えられると判断したからであります。

 国(旧海軍)としては、特攻認定(二階級特進)を行っておりませんので、後世の人々が誤った判断を下さないように、準特攻戦没者として取り扱うことにいたしました。

 このほかに特攻隊員に指名されながら、特攻隊戦没者名簿に記載されていない、航空・水上特攻隊員、回天の作戦行動下に沈没した潜水艦乗組員等、特殊作戦に関連した戦没者数が本誌第一部に記載されているおよそ六千柱を上回る人数であることが明らかになりました。

 以上の経緯によって、本書は、『特別攻撃隊全史』と名称を改めて、特別攻撃隊(五訂版)を第一部として第二部に準特攻戦没者名簿を収載することにいたしました。

 広く国民の目に触れて、特攻作戦にかかわった戦死者の慰霊顕彰の原典として、末永く後世に読み継がれることを、心から願う次第であります。

平成二十年八月十五日

財団法人 特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会
会長 山本卓眞

 この度、平成二十年に「特別攻撃隊全史初版」を刊行して以降判明した、氏名の訂正、顕彰碑等の記載事項の変更等を行い、第二版を刊行することとなりました。

令和二年十一月三十日
公益財団法人 特攻隊戦没者慰霊顕彰会
理事長 藤田幸生