第三編 顕彰譜

香取航空基地慰霊碑 香取航空基地慰霊碑

香取航空基地慰霊碑

 

由来記
香取航空基地は昭和19年2月整備教育練習部隊として香取海軍航空隊が開隊したが、空地分離編成により実践部隊の編成、練成基地となり、最後は本土防衛作戦基地となった。
昭和20年2月米軍が硫黄島上陸作戦を開始するや、第二御楯特別攻撃隊(天山6、彗星11、爆戦6、計23機・45名)を編成し、2月21日硫黄島沖米艦船に突入して大戦果を収めた。またこの地で錬成を終えた飛行隊は南九州に次々と転進し菊水作戦に散華していった。
この碑はこの地から出撃した特攻隊をはじめとする作戦戦死者、訓練殉職者さらに空襲による軍民死没者を合祀し、その冥福と平和を祈念するため、昭和51年基地関係者が慰霊碑建設期成会を結成し、基地跡が公園化されるのを機に建立したものである。

 

所在地 千葉県旭市干潟 旧基地跡
建立 昭和51年11月28日