第三編 顕彰譜

土浦海軍航空隊 予科練之碑 土浦海軍航空隊 予科練之碑

予科練之碑 1

 

由来記
海軍の飛行予科練習生度は昭和5年に創設され、航空軍備拡充のため年を追って採用人員が増大し、昭和12年には甲種予科練が加わり、練成基地も横須賀から昭和14年霞ヶ浦に移り、昭和15年11月予科練教育専門の土浦空に落ち着いた。
その後終戦迄の間全国に十八の練習航空隊が増設され、基礎教育を受けた練習生は次の課程へと巣立っていった。その数実に二十五万人に及ぶ。
これら予科練出身者は昭和12年支那事変の渡洋爆撃を皮切りに、大東亜戦争においては海軍航空戦力の中核となって勇戦敢闘、特に昭和19年特攻作戦が開始されるや、その主力となって、航空、水中、水上の各特攻を敢行、実に卒業生の八割が国に殉じて若い命を捧げた。
昭和41年になって予科練出身生存者の手により土浦空跡地の一角に雄飛園が造成され、その中に予科練のブロンズ像(堤達男氏作)を上に置く予科練之碑が建立され、さらに若鷲の歌の碑と高松宮妃殿下御歌の碑が併置されている。
慰霊祭は毎年海原会によって執り行われている。

 

予科練之碑 2

向かって左は高松宮妃殿下御衣歌の碑

 

所在地 茨城県稲敷郡阿見町
陸上自衛隊武器学校内
建立  昭和41年5月27日
問合せ先 東京都品川区南大井六-一六-一二
(公財)海原会(03-3768-3351)
写真提供 (公財)海原会