第三編 顕彰譜

都城特攻振武隊 はやて慰霊碑 都城特攻振武隊 はやて慰霊碑

はやて慰霊碑

 

慰霊碑建立の由来 (碑文)
昭和二十年四月 日本の命運をかけた沖縄攻防戦は凄惨熾烈をきわめた 南九州の陸海軍航空基地からは 爆弾と片道燃料だけを積み込んだ特別攻撃機が日夜続々と出撃していた
当時 市の郊外にも東・西両飛行場があり 同年四月この基地から初めて四式戦「疾風」特別攻撃機が沖縄周辺の目標めざして南の空へ飛び立つて行つた 以来七月一日まて十七次に及ぶ出撃が行はれ 未だ少年の面差しを残す二十才前後の若い特別攻撃隊員は 戦局の好転と祖国の勝利を信じて南海の果てに散華したのである
戦後三十二年の歳月と変容によつて思出の基地一帯は当時の面影をしのぶよすがもない時あたかも三十三回忌を迎えるに至って 隊員の遺族や各方面に慰霊碑建立の気運が高まり 本年六月市長を会長とする奉賛会が結成された 幸にひろく内外から多額の寄付が寄せられ こゝに永久平和の願をこめて 特別攻撃隊員並びに基地にまつわる殉国の士の英霊を合祀するものである
昭和五十二年十一月十五日

都城市特別攻撃隊戦没者奉賛会

 

東飛行場跡

東飛行場跡

 

西飛行場跡

西飛行場跡

 

 

所在地 宮崎県都城市都島町旧陸軍墓地
建立 昭和52年11月15日
建立者 都城市特別攻撃隊戦没者奉賛会
管理 都城市役所内
都城市特別攻撃隊戦没者奉賛会
慰霊祭 毎年4月6日奉賛会主催で実施