第三編 顕彰譜

水戸つばさの塔 水戸つばさの塔

つばさの塔

 

看板

 

水戸つばさの塔と特攻隊

常盤教導飛行師団で編成された特攻隊は、 比島方面二隊、沖縄方面一〇隊の合計一二隊であり、突入者は九五名で、それ以外に特攻隊に指定されていて戦死や殉職した者が一八名いる。また別に本土防空作戦で体当たりして戦死した者が六名いる。この塔は右特攻戦死者をはじめ水戸飛行場に関係ある戦死、殉職者七〇九柱を祀ったものである。

 

由来記
昭和十三年、ここ前渡の地に千二百ヘクタールに及ぶ水戸飛行場を設定し、水戸陸軍飛行学校が開校、通信、戦技、武装、高射、化学戦、自動車、特操、佐尉官、少年飛行兵等の教育と研究を実施し、東部に陸軍航空審査部水戸試験場が設置された。昭和十五年、水戸南飛行場に陸軍航空通信学校が開校され、通信教育と研究を移管した。
戦局の要請により昭和十八年八月、明野陸軍飛行学校分校が開校、水戸校は仙台に移駐した。
昭和十九年六月に至るや、分校は常陸教導飛行師団に改編、精鋭空中戦士の養成と研究に加え、本土防空の作戦任務を附与された。
この地にあってその職に殉ずる者および、昭和二十年二月十六、十七日の艦載機群邀撃等により身命を捧げた者その数百八十余柱、また南飛行場に於ても電鍵を片手に華と散った者数知れず、更に昭和十九年十一月以降、特別攻撃隊一宇隊、殉義隊、第二十四振武隊、第五十三振武隊、平井隊、 誠三十五飛行隊、第六十八振武隊の勇士七十余人は相ついで進発、レイテ沖に、台湾、沖縄海域に敵艦船を求めて突入し国難に殉じた。
昭和二十年四月、師団主力は群馬県新田飛行場に移動し終戦に至った。
ここに終戦三十周年を期し、関係者ならびに有志相計り、この戦跡を後世に伝え、殉国英霊の偉業を顕彰し、祖国永遠の平和を祈念してこの塔を建立する。

昭和五十年五月三日

水戸飛行場記念会

 

塔基部

 

所在地 〒311-1201
茨城県ひたちなか市新光町五五二-四〇

建立 昭和50年5月3日
追悼式 ひたちなか市追悼式
11月第2週(しあわせプラザで実施)