第三編 顕彰譜

鉾田陸軍飛行学校顕彰碑 鉾田陸軍飛行学校顕彰碑

慰霊碑前面

 

看板

 

建立の記
鉾田陸軍飛行学校は、昭和十五年十二月旧上島白鳥両村約八百町歩、旧新宮村四百町歩の地域に開設され、軽爆、襲撃飛行隊幹部の教育訓練並びに研究が行われていたところである。
大東亜戦争いよいよ熾烈となるや、本土防衛のため、昭和十九年六月鉾田教導飛行師団となり、翌二十年七月主力を以つて純作戦部隊として第二十六飛行団に改編された。この間、特攻隊が生まれ訓練の基地となり、我国特攻隊として最初に編成された万朶隊を始め、鉄心隊、勤皇隊、皇魂隊、振武隊四隊、神鷲隊十二隊、他四隊計二十四隊が編成された。うち十一隊計六十七名が、 比島、沖縄及び終戦直前の鹿島灘東方洋上作戦に参加し、特攻散華されたのであった。 なお学校訓練並びに新編成部隊の昼夜を分かたぬ訓練のため、幾多の兵が殉職されたところである。
戦後すでに二十九年、 当飛行場跡は徒らに荒廃を極め、往時を回顧すべき何物もないのは洵に痛恨の至りである。
茲に於て、地元有志並びに戦友相諮り殉国の英霊を顕彰し、その鎮魂と世界平和の祈りをこめて、ここに鉾田陸軍飛行学校顕彰碑を建立した次第である。
 
昭和四十九年十月 梁瀬健吾 撰文

 

慰霊碑後面

 

所在地 茨城県鉾田市
(元鉾田陸軍飛行学校跡)
建立 昭和49年10月3日
守護団体 茨城県鉾田市串挽三三八
東野一也方
鉾田陸軍飛行学校彰碑奉賛会(伝える会)