航空士官校を巣立った者は51期から58期までの士官候補生と、19期から24期までの少尉候補者並びに1期から4期までの将校学生である。
特攻隊として国に殉じた者の数は、座間の士官学校を卒業して航空に転科した者もあるので、正確な数は掴み得ないが、約一二〇柱と推定される。
碑文
陸軍航空士官学校は昭和十三年この地に創設され昭和二十年大東亜戦争終結と共に閉校となった
短い歴史ではあったが我が国近代航空の発展に輝かしい足跡を残してその使命を果した
この像はエンジンを背に大空を仰ぐ航空兵の像であり、空地一体の姿を表現したものである
かつて愛国の至情に燃えてこゝ修武台に集い修練に励んだ若人たちが 朝夕その勇姿に接して無言の感化を受けた
空の神兵像
今ここに四十年の歳月を経て復元した
願わくは陸軍航空士官学校の歴史として後世に語り継がれんことを
昭和六十一年九月七日
航空兵の像建立賛同有志 建之
所在地 埼玉県狭山市稲荷山航空自衛隊入間基地内
かつて航空士官学校の学校本部を模した建物が「修武台記念館」となり、その前庭に航空兵の像が建っている。
復元 昭和61年9月7日