建立の趣旨(碑文)
陸軍の少年飛行兵制度は昭和九年三月第一期生の所沢陸軍飛行学校入校にはじまる。
陸軍航空の拡充要請により昭和十三年村山に東京陸軍航空学校が創設され第六期が入校、さらに大津、大分に陸軍少年飛行兵学校がまた急速養成のため各地に教育陵が設立され終戦時の第二十期生まで四万六千の若鷲が巣立った。
陸軍航空の操縦、通信、整備の中堅として支那事変、ノモンハン事件を経て大東亜戦争に参加、日本の危急存亡に際して北に南にと空の第一線に身命を賭して活躍した。 そして四百五十余柱の特別攻撃隊員をはじめ四千五百余柱の若鷲が祖国の安泰と繁栄を念じつつ大空に散華した。いまだ十代の紅顔の少年達であった。
昭和三十八年東京陸軍少年飛行兵学校の跡地に慰霊碑を建立し以後毎年現地において生存者相集い慰霊の誠を捧げてきたがこのたび永代にわたる供養を念願しゆかりの人々の加護のもとにこの地に供養塔を建立することになった。
遷座にあたり英霊の遺勲を偲び永久の平和を祈るものである。
平成二年十月十日
元陸軍少年飛行兵出身者一同
少飛会
少飛の塔
所在地 東京都武蔵村山市岸清山禅昌寺境内
建立 平成2年10月10日
管理者 禅昌寺
慰霊祭 11月第2日曜日
所在地 東京都武蔵村山市大南
建立 平成2年10月10日
管理者 武蔵村山市教育委員会