第三編 顕彰譜

児玉飛行場跡之碑 児玉飛行場跡之碑

由来(碑文の抜すい)
児玉飛行場は昭和18年に完成し、10月から熊谷陸軍飛行学校児玉教育班として使用を開始した。19年4月には学徒動員の特別操縦見習士官二〇〇名が入校し、児玉教育隊と改称、三ヶ月の短期間に操縦教育を終了し、特攻隊要員として第一線部隊に配属された。
同年10月児玉基地と改称、第一四四飛行場大隊が配置され、各分科飛行部隊及び特別攻撃隊の基地となって帝都の防衛、硫黄島攻撃、或いは太平洋近海を遊弋する敵機動部隊に対する攻撃等、重要航空作戦に任じた。

 

 

所在地 埼玉県児玉郡上里町嘉美
児玉工業団地内飛行場跡
建立 昭和55年11月15日