第三編 顕彰譜

海上挺進戦隊慰霊碑 海上挺進戦隊慰霊碑

 

(碑文) 海上挺進戦隊顕彰之記
昭和十九年戦局の頽勢を挽回すべく、船舶特別幹部候補生の少年を主体とし全軍より選抜せる下士官、将校の精鋭を以て編成されたる陸軍海上挺進戦隊は、二五〇キロ爆雷を装備せるベニヤ製モーターボートにより一艇以て一船を屠るを任務とし、此処幸ノ浦の船舶練習部第十教育隊に於て昼夜分かたぬ猛訓練に励み、第一戦隊以下三十ヶ戦隊が同年九月以降続々沖縄、 比島、台湾への征途にのぼり、昭和二十年一月比島リンガエン湾の特攻を初めとし同年三月以降の沖縄戦に至る迄壮烈鬼神も泣く肉迫攻撃を敢行しその任務を全うせし者、或は戦局の赴く所已むを得ず艇身陸戦に転じ、奮戦せし者を含め戦闘参加の勇士二二八八名中、再び帰らざる隊員実に一六三六名の多きに達し、挙げたる戦果敵艦船数十隻撃沈、誠に赫々たるものありしも、当時は秘密部隊として全く世に発表されざるままに終われり。
而して又第二次訓練再開されるや第三十一戦隊以下十二ヶ戦隊が九州、四国、紀州の各地に展開し米軍の本土上陸に備え、更に第四十一戦隊以下十一ヶ戦隊は終戦当時当地に在り原爆投下直後の広島市民の救出残骸の整理に艇身活躍、同年十月艇を焼き部隊を解散せり。
此等教育期間中の殉職者も数十名に及び各戦隊に配置されたる基地大隊も戦隊出撃後は陸戦に転じ殆んど生還するを得ず、その運命を共にせるものの如し。
祖国の為とは言え春秋に富む身を国に殉ぜし、多数の若者の運命を想う時誠に痛惜の念に堪えず、ここにその霊を慰め後世に伝える為この碑を建立するものなり。
昭和四十二年十二月三日
元教育隊長 齊藤義雄書

 

祭神 陸軍海上挺進戦隊戦没者一、八一一柱
海上挺進基地隊戦没者一八、ニ九〇柱
所在地 広島県江田島市幸之浦
交通 広島市宇品よりフェリーで20分
切串上陸、自動車で10分
建立 昭和42年12月3日

建立の経過と現況
昭和40年春活動開始
42年12月3日除幕式 46年顕彰会組織62年大祭実施 平成元年11月2日小祭実施 幸ノ浦住民及び若潮会広島支部の手で維持管理「教法寺」にて永代供養