第三編 顕彰譜

大津島基地 回天碑 大津島基地 回天碑

 

碑文(側碑)
大東亜戦争 年ヲカサネテ苛烈ヲ加へ 物量漸ク乏シキヲ告ゲテ 前途暗澹タリシ
時 愛国ノ至誠 弱冠ニシテ早クモ危急ヲ豫感シ 忠孝ノ純情 一身ヲ献ジテ狂瀾ヲ既倒ニ回サントシ 前代未聞ノ兵器 必死必勝ノ戦法ヲ創案シテ 従容自ヲ一転セシムルニ至ラザリシト雖モ事敵ノ意表二出デテ其心膽ヲ寒カラシメ ヨク皇国ノ命脈ヲ危殆ノ中二護持セシモノ 其ノ功偉ナリト言フベシ ココニ回天献身ノ勇士ノ氏名ヲ録シ 以テ芳ヲ千秋ニ伝フ

 

昭和20年終戦直後、回天特攻隊大津島分遣隊で、戦没搭乗員の慰霊碑建設を思い立ち、占領軍の許可を貰い、大津島村民の協力を得て、11月10日、搭乗員宿舎の前に慰霊碑が完成した。その後この慰霊碑は、戦後の混乱の中に跡形もなく破壊された。
地元徳山では、年とともに回天顕彰の気運が高まり、33年2月、回天碑の再建が提案された。33年11月8日、大津島における第4回慰霊祭当日、旧回天碑の一部が会場で発見され、11月22日、地元有志の協力を得て掘り出した。34年1月、回天碑再建の具体的募金運動が始まった。
碑の「回天」の文字は、回天創始者黒木少佐の遺文の中から選ぶこととなった。
回天が初めて米軍を攻撃した19年11月20日から丁度15年目の、35年11月20日、新しい回天碑が、大津島の旧宿前に、旧回天碑を神霊として埋没したその上に建設され、翌36年3月26日、除幕式が挙行された。
37年7月、回天顕彰会が発足、遺品の収集を始めるとともに、記念館の建設を目指し、40年秋、募金等を開始した。
43年1月、地元徳山に回天記念館建設賛助会が設立された。そして43年11月20日、回天碑に隣接して回天記念館が竣工した。
その後毎年11月第2日曜日に慰霊祭が取り行われている。

 

所在地 山口県周南市大字大津島字馬島
交通 徳山より定期便で約30分
建立 昭和36年3月26日
守護団体 回天顕彰会