第三編 顕彰譜

平生基地 回天碑 平生基地 回天碑

 

碑文
神啾鬼哭 回天の壮挙
若き生命 南海に挺し
莞爾として皇国に殉ず
悵恨 戦い時に利非ず
山河むなしく桑滄の変
さわれ至誠盡忠の赤心
日本民族の血脈に漲り
昭々無極の後世に輝く
碑を発祥の地に建立し
粛然 久遠の霊を祀る
昭和三十四年七月十八日
桑原二郎

 

回天碑由来

太平洋戦争の末期、戦況も頓に悪化して日日敗戦の深淵へと落ち込みつつある時、この敗勢を一挙に回復すべく特攻機神風と相俟って、人間の操縦する魚雷を以て敵艦に体当りを敢行せんと計画されたり。名づけて回天という。昭和十九年十一月二十日パラオ諸島ウルシー環礁にその第一回の轟音が聞かれてより、幾多若き殉国の魂が回天と共に昇天し、その数89柱に及びたりと聞く、当地またその基地として日夜一撃必死の訓練をこの海辺に続け、昭和二十年七月十八日伊号58潜水艦に搭載され、再び還らざるの出撃を行いたり。国敗れ山河残りたるも、あわれこの地も連合軍の駐留する處となり、殉国の士の跡を尋ねる人とてなかりしが、偶々柳井市在住の田中協一氏、若人の霊を憐れみ遺品を自家に祭して十有余年なぐさめ続けたりと。
我等今軍国主義を謳歌するに非ず、特攻兵器を称揚するに非ず、然れどもこの地この海において、自己の命にかえても国を護らんとした若人達が莞爾として死地に赴きし事実は永く歴史に止むべきに非ずや、当地に工場を設立するに際しこれらの殉国の士の冥福を祈り碑を建立し後世にその壮拳を伝えんとす。
昭和三十四年七月十八日
建立者 松庫海事株式会社
谷 光司

 

所在地 山口県熊毛郡平生町大字佐賀 (田名埠頭の根際)
昭和34年7月18日設立
移設 平成16年11月
守護団体 平生町観光協会 (0820-56-5050)