第三編 顕彰譜

湯殿山 錨地蔵尊碑 湯殿山 錨地蔵尊碑

 

原画 元海軍飛行予科練習生 高橋俊二
施工 石の「こばやし」
御霊祭 例年10月10日 建立当時の関係者等減少に伴い、
その後組織としては毎年7月海の日実施

 

錨地蔵尊の由来
大東亜戦争は国家と民族の総力を挙げた史上稀にみる大戦でありました。 その末期日本全国から学生、学徒をはじめ幾多の青少年が志願、参戦し国内のみならず、アジア各地の山野に海に空に転戦し、中には特別攻撃隊として国家と同胞の安泰を祈念しながら、挺進散華されたのであります。
その勇魂は船の安全を保つ「錨」のように平和を支える礎になったのであります。
昭和五十四年雄々しい荒御霊を月山山頂 「読大神」のみもとに祀り、多くの戦没者御霊と共に鎮魂碑を建立、毎年八月十五日、正午を期して鎮祭祭を行ってきました。
戦後すでに五十有余年、平和に慣れた日本人の中には戦争の惨禍も諸英霊の悲願も忘れ去り、道義は廃れ、明日の日本を憂うものであり、他方地球上の随所で尚戦火は絶えることなくつヾき、世界平和道、尚遠しの感があります。
私は三百十万と云われる戦没者の御霊が湯殿山の御神湯に浄められ再び生まれ出、平和の御先導を御勤めくださるよう、御霊代として神潮特別攻撃隊の遺言集 「その若き命惜しまず」・ウルシー島の珊瑚・沖縄激戦地の御霊石を安置、「錨地蔵尊」を建立し、永遠の世界平和を祈念するものであります。
憂国碑 錨地蔵尊建立委員会
協賛者一同

 

所在地 山形県鶴岡市湯殿山仙人沢霊場
建立 平成9年10月10日
守護団体 憂国碑「錨地蔵尊」奉賛会
写真提供 憂国碑「錨地蔵尊」奉賛会