組織的計画的な特攻作戦が行われるようになったのは、19年10月に始った比島防衛作戦からである。比島作戦には航空、空挺、水上の各特攻隊が参加しているが、現地に即した特攻隊慰霊碑は殆どない。そこで本書では比島方面全戦死者を対象とした慰霊碑二点を紹介し、その中に合祀されている特攻隊の英霊を偲ぶこととする。
日本列島最南端開聞岳南側海岸にある
比島戦没者慰霊碑
碑文
許されるものならば
還らざる旧軍四十七万六千余柱の
精霊なおも とどまる
雲烟万里 比島の地に
痛恨の碑を建て その前に伏し
心からなる祈念を捧げたいものを
やむなく日本列島最南端の
ここに碑を置き 想いを馳せて
みたま鎮まれと ひとしく願う
所在地 鹿児島県指宿市花瀬海岸
建立 昭和43年4月20日
建立者 比島戦没者遺骨収集並びに慰霊碑建立期成会
(鹿児島県出身の遺族と戦友を中心とする会)