第三編 顕彰譜

大西瀧治郎之墓  鶴見総持寺 大西瀧治郎之墓  鶴見総持寺

 

 

遺書
特攻隊の英霊に日す
善く戦ひたり深謝す
最後の勝利を信じつつ肉弾として散華せり
然れ共其の信念は遂に達成し得ざるに至れり
吾死を以て旧部下の英霊と其の遺族に謝せんとす
次に一般青年に告ぐ
我が死にして軽挙は利敵行為なるを思ひ
聖旨に副ひ奉り自重忍苦するの誠ともならば幸なり
隠忍するとも日本人たるの矜持を失ふ勿れ
諸子は国の宝なり
平時に処し猶ほ克く
特攻精神を堅持し
日本民族の福祉と世界人類の和平の為
最善を尽せよ

 

海軍中将大西瀧治郎
八月十六日

 

之でよし百万年の昼寝かな

 

 

大西瀧治郎君は兵庫県芦田の産長して海軍に志し明治四十五年七月優秀の成績を以て兵学校を卒業す人と為り豪宕不屈進んて草創期の航空界に身を投し嶮難を意とせす研鑽に精進する事数年その特性を体得するに及び将来我国防の最大要素たるへきを痛感し海軍航空を急速に発展せしむる事こそ自己に課せられたる使命なりとし益々拮握精励特に要員教育訓練の基礎確立に力を致せり爾来累進して要職を歴任するの間軍政の府に在っては航空優先の施策実現に全力を傾注し熱誠倦むところをしらす又部隊を率いては率先垂範積極的指導に終始し士気の高揚自ら風を為す大東亜戦争の初期海鷲よく太平洋の全域を掩い無敵の名を肆に致したるその因由素より多々あるへしと雖君等明達径行の士万難を排して精強部隊の育成に汲々として瘁尽したる多年の苦心に負うもの甚た大なるは信して疑はさるところなり戦局漸く我に利あらす皇国の前途転た暗澹たるの秋果然至誠純忠なる青年将校等今や一身以て一艦を屠る特別攻撃法を敢行するの外救国の途なしと断し進んでその任に当たらん事を申出つ君中宵沈思幾度か遂に血涙を呑んてその採用止むなきを進言し自ら特攻部隊の指揮官に任したり朝に空母を沈め夕に戦艦を傷け連日の猛撃に敵陣色を失い恐荒甚たしきものあり去り乍ら彼我物力の大差は如何ともすべからす遂に刀折れ矢尽き終戦の迎うるに至る君則ち我事ここに終れりと従容として古武士の法に尊い敬愛する特攻戦士の跡を追へりその遺言に曰く青壮年諸子よ諸子は国の宝なり日本人の衿持を失う事なく民族の福祉と世界人類平和の為最善を尽くせと茲に偉人大西海軍中将が踏み来りたる大道を追想しその高風を永く後に伝へんとす

 

昭和三十七年三月二十一日 – 親友一同