第三編 顕彰譜

特攻隊戦没者慰霊顕彰事業の戦後の歩み 特攻隊戦没者慰霊顕彰事業の戦後の歩み

一、静岡市清水寺住職吉井成純 僧正と日光山輪王寺搭頭華厳院住職開口直 大僧正は、大東亜戦争関連全戦没者霊魂の成仏を発願し、法隆寺に願い出て秘仏夢違観音像を一尺八寸に縮小した像を製作し、平和観音像として奉戴する許可を得て、昭和25年10月10日に平和観音会を発足させた。団体、一族、個人を問わず会の趣旨賛同者に平和観音像を頒布して回向することを事業の柱にした。

 

ニ、及川古志郎海軍大将 (神風(しんぷう) 特別攻撃隊初発進時の海軍軍令部総長)は、熱心な仏教徒であり、かつ仏教研究家でもあった。何時頃及川大将と関口和尚の交流が始まったかは定かではないが、特攻作戦が開始されて大将が、 関口和尚に特攻関係者に訓話を求めたということからすると、 及川大将が海軍大学校長時代に、技術に偏り過ぎた海軍教育に、人間として基本的素養を培う内容の教育を加味すべきであると考えて、京都大学文学部の佛教研究者に相談を持ちかけたことがあり、結局この案は実現することなく終わったが、佛教学者でもあった関口和尚との交流がこの頃始まったと考えられなくもない。

 

三、海軍の第一及び第二航空艦隊司令部関係者有志二〇数名は、昭和21年10月25日に、占領軍によって旧軍人の集会が禁止されていた時代に、秘かに東京・芝の増上寺塔頭安蓮社に集まって神風特別攻撃隊戦没者の慰霊法要を営み、この法要を神風(しんぷう)忌と名付けて、以後毎年続けられるようになった。このことが及川大将から関口和尚と吉井和尚に伝えられて、関口和尚が吉井和尚と相諮って、平和観音会設立を発願する動機になったのではなかろうか。神風忌は平成18年(第61回)まで続けられて終わったが、この間神 風忌の存在は関係者以外に知られることなく終始した。

 

四、終戦時の陸軍航空総軍司令官河辺正三大将も熱心な仏教徒であった。陸海軍それぞれの特攻作戦最高責任者として、如何に特攻戦没者の慰霊顕彰を行うかということで、両大将の間で話合いが行われたことは、世田谷山観音寺所蔵の資料に両大将が平和観音会の会員であったと記されていることで明らかである。

 

五、平和観音像を陸軍は特攻平和観音、海軍は神風特攻平和観音として奉戴することになり、陸海軍関係者を中心に広く募金活動が行われ、昭和27年5月5日に東京・音羽の護国寺で開眼法要が営まれた。 永久奉安する場所として翌28年7月世田谷山観音寺が選ばれて、これを機に特攻隊戦没者の慰霊顕彰は陸海軍関係者一体となって特攻平和観音奉賛会(以後奉賛会と略す)を設立して行うことになった。初めは航空特攻のみであったが逐次水中、水上、陸上の特攻戦没も包含していった。

 

六、世田谷山観音寺を昭和26年5月に開山した太田陸賢 僧正は、特攻平和観音像を奉安するに当たって、既存の本堂とは別に特攻平和観音堂を建立することを決意したが、たまたま都下仙川に在った元華頂官邸の持念佛堂が入手出来たので移築することにした。その落慶法要は昭和31年5月18日に行われ、以後毎月18日を月例法要日として、会員有志が集い供養を続けることになった。当初は5月5日に行われていた年次法要は間もなく秋分のに挙行されるようになった。

 

七、戦没者氏名を巻物に謹記した霊璽簿は昭和31年に完成して、陸海軍それぞれの観音像の胎内に奉蔵された。落慶法要当日に霊名録が奉納された。その冒頭に書かれた特攻平和観音奉賛会設立趣意書には世話人代表として左記の六名が挙げられている。
( )は終戦時の職位・階級

及川古志郎(軍事参議官 海軍大将)
菅原道大(陸軍第六航空軍司令官 陸軍中将)
河辺正三 (陸軍航空総軍司令官 陸軍大将)
福富 繁(海軍第ニ航空艦隊司令長官 海軍中将)
清水光美(元海軍第一艦隊司令長官 海軍中将)
寺岡謹平(海軍第一航空艦隊司令長官 海軍中将)

 

八、奉賛会は次第に全国的組織として形を整えたが、その運営に当たっては、成文化した規約も会長その他の役職も置かず、世話人代表を中心に、会員有志の奉仕によって慰霊行事は執り行われた。時の経過と共に会員の世代交代が進んで、昭和56年に特攻隊慰霊顕彰会(以後顕彰会と略す)として再発足し、顕彰会と奉賛会は二身一体であることが確認された。

 

九、顕彰会は初代会長に竹田恒徳元宮殿下を奉載し、事務局を設けて会としての体制を整えた。竹田会長が平成4年に亡くなられて、後任の瀬島龍三会長は顕彰会の財団法人化を図り、平成5年11月に財団法人特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会となった。

 

一〇、奉賛会改変の動きが始まって、靖国神社で特攻隊戦没者慰霊祭を実施すべきであるとの意見が強く出されて、昭和54年から春に陸海軍合同慰霊祭が行われることになった。以来、春の慰霊祭と秋の年次法要を行うことで定着している。年次法要は平成19年から地元氏神である駒繁神社の協力を得て、神仏習合で行なわれるようになった。

 

一一、平成20年12月に施行された公益法人認定法等の規定により、施行後5年以内に新公益法人への移行申請を行わなければならないこととなった。旧財団法人(特例財団法人) 特攻隊戦没者慰霊平和協会では、約2年間の準備期間を経て、平成22年9月29日、理事会及び評議員会において新公益法人への移行申請を行うことが決議され、同年10月中旬、内閣府公益法人等認定委員会に公益法人への移行認定申請書を提出した。申請書の提出後約2ヵ月で公益法人移行認定の内定を、続いて同年12月22日、正式認定を受け、新公益法人移行登記と旧財団法人の解散登記が可能となり、年明け早々の平成23年1月4日、それぞれ登記を行った。
新公益法人の名称は、『公益財団法人 特攻隊戦没者慰霊顕彰会』である。 なお、略称は、「(公財) 特攻慰霊顕彰会」である。