第三編 顕彰譜

会報第136号 巻頭言 会報第136号 巻頭言

公益財団法人特攻隊戦没者慰霊顕彰会
理事長藤田幸生

 世界は、コロナ禍の第三波が、荒れ狂っております。
 各地での各種特攻慰霊祭も例外では無く、中止、規模縮小、役員のみで実施等の連絡が、続いております。会員の皆様におかれましても、如何お過ごしでしょうか?

 先般、4月7日に、呉の海軍墓地で催行されました、戦艦「大和」の慰霊祭に行ってまいりました。慰霊祭は、好天に恵まれ、盛大且つ済々と、実施されました。久し振りでした。さすが、母港である呉の戦艦「大和」慰霊祭でした。
 戦艦「大和」の慰霊祭は、各地で実施されてきております。私は、例年、そのどこかには、水交会代表、(公財)特攻隊戦没者慰霊顕彰会代表等として、参列してまいりました。
 戦艦「大和」との最初のきっかけは、測距員の生き残りで、熊野に在る渕龍寺の中道住職という方への、聴き取り訪問でした。
そこで、生々しい当時の実話を、お聴きしました。その後、戦艦「大和」の慰霊祭、及び、大和を旗艦とする第二艦隊(第一遊撃部隊)の慰霊祭は、枕崎市火の神公園、徳之島犬田布岬、呉市海軍墓地等で催行,実施されてきました。海自艦艇、航空機他、沢山の人との出逢い、がありました。最初の霞ヶ関高層ビル設計者の池田武邦先輩(海兵,東大出身)、彫刻家で文化勲章受章者の中村晋也先生、伊仙町の大久保明町長、伊藤一弘伊仙町会議員等々の知人が、できました。海岸にあり、塩害で腐食した二六メートル(「大和」の艦橋と同じ)の高い慰霊塔の修復寄付集めもしました。
「大和」については、トラック島の巨大な係留ブイ、僚艦「武蔵」のシブヤン海慰霊行等の、思い出も、あります。
 これまで多数の慰霊祭に参列させて頂きましたが、民間個人や団体が主催する慰霊祭は永続が困難になり中止になっています。
今回の呉海軍墓地での戦艦大和慰霊祭は、その意味において、コロナ禍の中でもあり、意義のある、慰霊祭でした。全国から関係者が集まり、盛大でした。関係者の皆様のご苦労は如何ばかりであったろうかと、思いました。

 私達の「(公財)特攻隊戦没者慰霊顕彰会」慰霊活動も、終戦直後から、陸海軍の戦友、ご遺族等の有志により、資金を集めて、慰霊法人を創り、活動を続けてまいりました。
当初は、名前も、団体の管轄も違っていましたが、紆余曲折を得て、今があります。
所管官庁は、厚生省、厚労省、内閣府と、変わりました。
 活動の、内容も、役員も、会員も、変わってきました。特攻隊指揮官等(第一世代)、特攻隊同期生等(第二代目)、特攻隊後輩等(第三代目)、戦後世代(第四世代)へとです。
 また、事務所の場所も、私が知っているだけで四ヶ所(虎ノ門の森ビルから浜松町のビル、靖國神社を経て、今の東専堂ビル)と、変わって、移ってきています。
 今回のコロナ禍で、人の世の営み方、価値観は、大きく変化することでしょう。
戦没者の皆様への慰霊のやり方も、大きく変化するかも知れません。
しかし、この私達が今、受け継いでいる「特攻隊戦没者慰霊顕彰活動」だけは、如何に世の中が変わろうとも継続していかなければならないものだと、考えております。
 そんな気持ちで、今の激動する「コロナ禍の世界」を観察し、過ごしております。
会員の皆様におかれましても、どうか御自愛の上、今後とも、慰霊活動へのご参加等をよろしくお願い申し上げます。