専務理事兼事務局長 石井光政
令和3年5月26日(水)1100から千葉縣護國神社境内の特攻勇士之像前にて、千葉県出身特攻隊員の慰霊祭が斎行されました。本慰霊祭は、特攻像が奉納された平成23年の5月26日から毎年同日に開催されており、本年でちょうど10年目に当たります。
本慰霊祭はご案内をすることなく、どのような状況下でも護國神社が斎行して下さいますが、本年はコロナ禍にもかかわらず、忘れずにお集まりくださった8名の方には、心より感謝申し上げますとともに、英霊もさぞお喜びのことと拝察する次第です。
慰霊祭は定刻11時に開始され、粛々かつ厳かに神事が取り行われました。
慰霊祭ののち、社務所において竹中啓悟宮司からご挨拶と共に、現在、神社の移築が進められており、来年の慰霊祭は移設先の神社にて執り行われること、特攻勇士之像の副碑を若い人がじっと読んで、像に向かって深々と首を垂れる姿を良く目にするとのお話をいただきました。
千葉縣護國神社に特攻像を奉納して良かったとしみじみと思いました。
関係の皆様に改めて感謝申し上げるとともに、他の護國神社への奉納も引き続き力を入れていきたいと感じた次第です。
千葉縣護國神社への奉納時の記事は、会報88号(平成23年8月号)に詳しいですが、ここでは再度、副碑の文章を掲示したいと思います。
千葉県特攻勇士顕彰碑
「わが祖国日本は、昭和十六~二十年、米英支ソ蘭豪と大東亜戦争を戦った。自国の安泰と、欧米の植民地支配からアジアを開放するためだった。戦いは連戦連勝、南太平洋、インド洋まで制圧したが、物資の補給乏しく、比島から沖縄と敵の侵攻を許した。
この時一機一艇で一艦に体当りする歴史に例のない必死の特攻戦法が採られた。
貧しくとも誇り高い民族の苦渋の選択だった。二十歳前後の若者の死への旅立ちを国民は合掌して見送った。その勇姿を此処に置く。敗戦国に育ち歴史を絶たれた現代の人よ、命に代えて何を守ろうとしたのかこの像に問い続けて欲しい。戦後同二十六年五月三日連合軍最高司令官マッカーサー元帥が米上院軍事外交合同委員会で日本の戰は自衛のためであったと証言し米報道機関が全米に発信した。日本国民よこの事実を銘記せよ。」
特攻勇士之像
現在の本殿
(解体の清祓は令和4年3月中旬。新本殿の清祓は令和4年2月上旬予定)
新護國神社模型(入口より望む)