日時 令和3年9月23日(木)秋分の日14時~14時30分
場所 世田谷山観音寺・特攻観音堂
参列者 理事等14名
(1)式次第
式の開始に先立ち、222名11団体の方から寄せられたお布施を、藤田理事長から太田恵淳住職にお渡ししました。
1 梵鐘点打
2 国歌吹奏
トランペット堀田和夫
3 願文「特攻平和観音経」
世田谷山観音寺住職太田恵淳
4 祭文奏上
特攻隊戦没者慰霊顕彰会
理事長藤田幸生
5 奉納献奏 「海ゆかば」
トランペット堀田和夫
6 焼香
7 池前祭住職読経
(解散)
(2)祭文
謹んで在天のご英霊に申し上げます。
皆様が、命を懸けて戦われた、大東亜戦争が終結してから76年が経ちました。今年もここ、世田谷山観音寺での、特攻平和観音年次法要の季節が巡ってまいりました。今年の年次法要は、第70回の節目の法要であります。多くの方が参列を希望されておりました。しかしながら、昨年からの新型コロナウイルス禍の収束が未だ見えず、今年も亦、この様に縮小して実施することになりました。誠に申し訳なく、かつ、残念であります。
世界は戦後しばらく、安定成長が続きました。しかし、近ごろは、中国の台頭と、アメリカの衰退傾向を感じております。また再び、混乱の時代へ突入しつつあるのではとの危惧を持っております。
戦い方も、先の大戦では航空兵力が戦勢を左右するようになりましたが、今は、宇宙空間から電磁波空間にまでその範囲は広がり、複雑さを増してきているようにうかがえます。
この様な状況の中、皆さんが身を挺して守って下さった我が国日本を、将来にわたって、平和で世界から尊敬される日本国であり続けるようにするのが、私どもの責務であると考えております。
昨年延期になったオリンピック、パラリンピック東京大会は、今年はコロナによる緊急事態宣言が発出された中ではありましたが、開催されました。この、困難な状況を克服して大会を整斉と開催できたことは、日本人としての底力を内外に示すことができたのではと思っております。また、各種競技での多くの若者の活躍と、表彰式で君が代を斉唱している姿を見ると、日本の将来に明るい光を見る気がしました。
さらに、近年、多くの災害に見舞われておりますが、その都度お互いに支えあう風景と、多くの若者がボランティアとして災害地で働いている姿を見ることが出来ました。
戦後日本は、GHQによる洗脳教育を受け、自虐史観に捕らわれて、「日本は間違っていた。ダメな国だ」という風潮に流されて来ました。しかし、オリンピックや災害、そして、コロナへの国民の対応等を見ていますと、「国のために頑張る、お互いに支えあう、自分より他人のことを想う」という、日本人古来の美徳が未だ健在であることが、明らかになってきたと思われます。
この「利他の精神」を身を以て示されたのが特攻隊で亡くなられた皆様であります。皆様の示されたこの精神が、未だ、今の日本人の中に健在であること、これこそが、常に国を護り、国を興す底力であろうと思っているところであります。
私たちは、これからもご英霊の皆様が残してくれたこの精神と志を守り、粉骨砕身、ますます努力し、あらゆる国難を乗り越えて、日本の発展と文化の継承に努める所存であります。
どうか在天の英霊、安らかに鎮まりますとともに、私共に一層のお力を賜らんことを請い願う次第であります。
令和3年9月23日
公益財団法人特攻隊戦没者慰霊顕彰会
理事長藤田幸生
(1)保坂世田谷区長追悼文
先の大戦から76年を迎え、元号も、昭和、平成から令和と代わり、世田谷観音の第70回目の節目となる特攻平和観音年次法要を迎えられました。
私も一昨年まで毎年、世田谷観音の特攻平和観音年次法要に出席させていただいていましたが、本年も、新型コロナウイルス感染症の感染拡大が収まらない影響を受けて、やむをえず、寄稿させていただきます。
この度の新型コロナウイルス感染症は、1年半以上を感染が拡大し、区内でも多くの方がり患し、いまだに闘病中の方、後遺症に悩む方に御見舞を申しあげます。
また、惜しくも亡くなられた方には心からの弔意を表わします。そして、長く続いているコロナ禍は、区民生活にとっても、未曾有の打撃です。私たちは、直面する困難を乗りこえ、英智を結集して何としても平穏な生活環境を回復する決意です。
さて、これまでに、私たちが安心して暮らしてくることができたのも、先の大戦で前途洋々とした未来がありながら絶望的な戦況の中で、平和な世を願い、ご家族や友人、親しい方などに想いを寄せ、大空に散って行かれた特攻隊員の尊い犠牲があったことを忘れてはなりません。
我が国は、戦後76年に渡り、世界中のどの国とも一度も戦火を交えることなく、平和の歴史を積み重ね今日を迎えています。遠ざかる戦争の記憶の中で、改めて、平和の尊さを、先人のご努力を、若い世代に伝え、引き継いでいかなければならないと考えております。
戦後76年が過ぎる中、宮本雅史さんが平成17年に書かれた『「特攻」と遺族の戦後』の本を手にし、その中に、小学校で同級生であった林義則さんと小栗楓さんの手紙のやり取りを目にしました。
義則さんと楓さんは、小学校2・3・4年生と同じクラスで、5年生の時に、義則さんが転校され別れて以来、義則さんの出征が決まり、昭和19年3月23日に村役場へ挨拶に来た義則さんと村役場の戸籍係に勤めていた楓さんが再会され、戦死されるまで1年間、手紙のやり取りで心の交流を重ねられています。楓さんは「1年間、手紙のやり取りをしただけですが、それだけで、一緒に暮らしているような気持ちになりました。終戦から60年近く経ちましたが、いつもあの人のことを考えてきましたので、今では、こういう食べ物が好きなんだとか、ああいうの嫌いなんだとか、あの人の嗜好までわかるような気がします」と語られています。手紙の中で、結婚の話は一切なかったが、「一度だけ『ワイフと言うのは有難いものだなァ』と書いてきたことはありましたが…。手紙を出し合っているうちに一緒になっていたんですね」と恥ずかしそうに答えられています。こうして1年間やり取りされた手紙は、昭和
20年4月22日「いよいよ今日出撃する。この期に及んで、何も言うことなし。よく尽くしてくれたお前の心を大切に持ってゆく。君ありて我れ幸せなりし。体を大切に静かに平和に暮らしてくれることを祈る。鹿児島県川辺郡知覧町」を最後に途切れます。昭和20年10月、義則さんの戦死公報が届き、楓さんが自分の手で戸籍
を抹消します。手が震えたそうです。
「まさか、あの人の戸籍を自分の手で抹消するとは…。末期の水を取ってあげる気持ちでした」と。運命は残酷なものです。思いを通わせながら添い遂げることができなかったお2人のお気持ちを察すると胸が締め付けられる思いです。
私たちは、戦後76年が経ち、戦争の記憶を継承していくことが難しくなってきました。改めて、恒久平和を希求し、平和の大切さを後世伝え、次世代に対して歴史の証言を確実に伝承していくため、世田谷公園の中の平和資料館を運営してまいります。
結びに、皆様のご健勝をお祈りし、世田谷区長としての挨拶といたします。
(2)慰霊電報
第七十回特攻平和観音年次法要のご斎行にあたり、国難に殉じられ平和の礎を築かれました御霊に対し、謹んで哀悼の意を表します。
また、未だ収束の目途の見えない新型コロナウイルス感染症下の中、開催に際しご尽力賜りました関係各位に
心から感謝申しあげます。
戦後、日本の底力を世界へ見せた昭和の東京オリンピック、一年遅れで開催した二回目の東京オリンピックが終わりました。開催ができたこの現実は、それはやはり多くの尊い御霊の上に築かれた「平和」という時代があればこそです。
今日の平和と繁栄をもたらしたものは何であったのかを思う時、時代の変化と共に苦しい事は多様にある中、
困難を乗り越える「力」を後世に残されたご英霊への感謝の念を新たに感じました。
平和の尊さ、命の大切さを後世に語り継いでいかなければなりません。皆様方には「平和を語り継ぐ者」として、今後とも末永くお力添えをいただければ幸いです。
結びに、ご参集の皆様方のご健勝、ご多幸を心より祈念いたします。
一般財団法人日本遺族会
会長水落敏栄