第三編 顕彰譜

年頭の御挨拶 年頭の御挨拶

公益財団法人
特攻隊戦没者慰霊顕彰会
理事長藤田幸生

「一瞬の光陰!」
 新年明けましておめでとうございます。
 令和4年、西暦2022年の年が、明けました。会員の皆様におかれましては、新型肺炎コロナウイルス禍の中、新しい気持ちで、新年を迎えられたことと存じます。
無事に越年できたことは、ただそれだけでも、お目出たいことだという、そんな気持ちです。

 昔、日本では、「人生五十年」と、言われていました。特攻隊員の皆さん方は、「二十歳前後」の若さで、戦死されています。その一方で、元自衛官であった私は、来年、無事に傘寿、「八十歳」を迎えることが出来ます。
しかし、この「二十年」「五十年」「八十年」という時間・・・それらは、いずれも、地球上の長い時の流れからすれば、「一瞬の光陰」に過ぎないのではないか等と、考えられます。

 人生には、それぞれに、その人の時代毎に、様々な事が生起してきています。私達は、その中で、「自己の生」を一生懸命に繋ぎ、時を過ごしてきているのだと思えるのです。戦争も平和も、怪我も、この疾病さえも、「その過程で起こる、一つの現象である」と、いう見方が、できるのではないでしょ
うか?

 戦後七十余年、日本では戦争のない時が過ぎてきました。従って、この間勿論、一人の「戦死者」も、出していません。私は、防衛大学校卒業時の写真を、購入しました。そして、両親に、「これは、私が殉職等したときには、今後、何時でも、葬儀用遺影として使って欲しい。」と言って、渡しました。
私は、緊急事態を幾度か経験しましたが、何とか無事に生きて退官できました。ここに、傘寿を迎えようとしています。だから、その結果として、特攻隊戦没者に比べれば、4倍程の時間、この世に生を得てきたことになります。

 私は、短躯ながら、健康に恵まれて、生まれ育ちました。しかし、それにしても、「長生き、できたものだ!」とは、思います。そうして今、全ての「任」を終えて、コロナ禍後のことを、つらつら考えられる状態に居ります。

 時代も、状況も異なり、特攻隊で、若くして戦死された先輩方と、自分との比較は、出来ません。しかし、「どちらが、中味の濃い人生を、送ったのだろうか?」と、考えてみますと、「短い人生を送られたけれども、『特攻隊の先輩方』ではなかろうか?」と、思われてなりません。だから、「人生の価値」は、人の世の時間の長短ではないように思われてくるのです。

 いかなる人生も、「人生は、一瞬の光陰!」では、ないでしょうか?