第三編 顕彰譜

世田谷山観音寺  特攻平和観音 世田谷山観音寺  特攻平和観音

1 観音堂

由来
陸海軍特別攻撃隊烈士の英魂を大慈悲の観音像に顕現し、その忠烈を顕彰しようと海軍大将及川古志郎、同高橋三吉、陸軍大将河辺正三、陸軍中将菅原道大、海軍中将寺岡謹平等が発起人となり、有志の方々に喜捨を仰ぎ、昭和二十七年春平和観音像を建立した。同年五月五日音羽の護国寺において、開眼供養が盛大に行われ、特攻平和観音と称することになった。
この観音像は大和法隆寺の夢殿に奉安してある秘仏「夢ちがい観音像」を特別の許可を得て模造したものであり、一尺八寸の金銅像で、胎内に特攻烈士の英名を謹書した巻物を奉蔵してある。
特攻平和観音は護国寺境内の忠霊堂内に安置されていたが、世話していた白蓮社の解散に伴い特攻平和観音をお守りする者が無くなってしまった。有志の人達が寛永寺その他の寺に交渉したが、なかなか受け入れられなかった。
ところが、この話を伝え聞いた世田谷山観音寺の開祖太田睦賢大僧正は、特攻観音独自の堂宇建立の悲顧を立て、元華頂宮家の持念仏堂を境内に移築することになったが、その完成を見ずに昭和三十年五月二十四日に遷化された。そこで後を継がれた御子息の賢照師が先代の意を体し観音堂を完成、昭和三十一年五月十八日に落慶法要を挙行して、特攻平和観音を遷座された。
最初の特攻平和観音は、陸海軍航空特攻の烈士のみを顕彰するものとされていたが、その後舟艇関係の特攻烈士を追加合祀し、現在四千六百有余名の英名が観音像の胎内に奉蔵されている。
境内の池の中にある観音像は、特攻観音と同型のもので、昭和四十八年九月二十三日に開眼法要が営まれたものである。
老朽化が進み観音堂は平成十六年春から同十七年秋にかけて、会員の寄進によって、根太、欄干、正面扉を中心として大改修が行われた。

観音堂の厨子内に奉安されている特攻平和観音像(右)には 海軍の(左)には陸軍の特攻烈士霊名簿が奉蔵されている。

観音堂の厨子内に奉安されている特攻平和観音像(右)には 海軍の(左)には陸軍の特攻烈士霊名簿が奉蔵されている。

池の中にある観音像

池の中にある観音像

この碑も境内にある(10 頁参照)

この碑も境内にある(10 頁参照)

 

特攻平和観音奉賛会
奉賛会は昭和二十八年に有志により組織され、三十一年に拡大されて遺族と有志が一体の組織となった。
五十七年に元皇族の竹田恒徳様を会長に戴き特攻隊慰霊顕彰会、更に平成五年に財団法人化されて、特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会へ、平成二十三年公益財団法人に認定され特攻隊戦没者慰霊顕彰会となった。
毎月十八日午後二時から月例法要を取り行い、有志の者が住職の太田恵淳師と共に読経供養している。毎年秋分の日には、午後二時から年次法要を挙行し、浅草寺一山式衆のもと多数の遺族戦友が参加して厳修されていたが、平成十九年からは、この地の氏神である駒繋神社と神仏習合で実施される様になった。

 

所在地 東京都世田谷区下馬四-九-四
(03-3410-8811)
交通案内 渋谷駅・目黒駅よりバスの便あり
世田谷観音下車