鹿屋基地は海軍の沖縄作戦における中核基地となり、昭和20年2月第五航空艦隊司令部が置かれた。
昭和19年7月には空地分離で基地は九州空の管轄するところとなっていた。
この基地から昭和20年3月11日、菊水部隊梓特攻隊(銀河13)が西カロリン諸島ウルシー泊地の米機動部隊攻撃に突入したのを皮切りに、3月18日には菊水部隊銀河隊の主力が米機動部隊の特攻に出撃していった。
事後天一号作戦間、神雷部隊の桜花特攻部隊(桜花、陸攻、零戦)と爆戦隊、そして各地からこの基地に集結して出撃した爆戦隊の神剣隊(大村空)、筑波隊(筑波空)、七生隊(元山空)、昭和隊(谷田部空)のほか、菊水部隊の天山隊、白菊隊の徳島空の白菊隊等がこの基地で戦備を整え、米機動部隊或は沖縄周辺艦船攻撃に突入していった。
合計六七隊、四四七機、七五五名の猛攻を記録している。
昭和33年3月鹿屋市及び海上自衛隊鹿屋基地が中心となり特攻隊戦没者慰霊塔建立期成会を結成し、この碑を小塚丘公園に建立し、例年4月の第一土曜日に盛大に慰霊祭をとり行っている。
所在地 鹿児島県鹿屋市今坂町小塚丘公園
建立 昭和33年3月20日
問合せ先 鹿屋市福祉政策課
(0994-31-1113)