第三編 顕彰譜

串良特攻基地の碑 串良海軍航空隊出撃戦没者慰霊塔 串良特攻基地の碑 串良海軍航空隊出撃戦没者慰霊塔

慰霊碑

 

碑文

由来記
昭和19年4月串良基地は整備員養成航空隊として開隊され、昭和20年2月には九州空の指揮下に入った。沖縄作戦においては鹿屋基地に次ぐ大特攻基地の役割を果している。
4月6日菊水一号作戦下令とともに菊水部隊天山隊、第3御楯天山隊、第十八幡護皇隊艦攻隊、第一護皇隊白鷺隊、第二一〇部隊彗星隊の44機、122名の大挙出陣を皮切りに、他部隊からこの基地に進出した艦攻隊の護皇白鷺隊(姫路空)、白鷺揚武隊(宇佐空)、天桜隊(九〇一空)、正気隊(百里空)、八幡護皇隊(姫路空)、菊水雷桜隊(九三一空)、皇花隊(百里空)、八幡神忠隊(宇佐空)、白鷺赤忠隊(姫路空)、八幡振武隊(宇佐空)、常盤忠華隊(百里空)、艦爆隊の八幡護皇隊(百里空)、草薙隊(名古屋空)のほか、最後には徳島白菊隊の5隊がこの基地から続々と沖縄周辺の艦船攻撃に出撃していった。合計26隊、136機、340名の猛攻記録を残している。
昭和44年地元町長が中心となって建設期成会を結成し、この慰霊塔を旧滑走路跡に建立し、出撃特攻隊員の鎮魂と偉勲を顕彰している。
慰霊祭は毎年10月10日に近い土曜日に厳粛に挙行されている。

 

所在地 鹿児島県鹿屋市串良町平和公園内
建立 昭和44年10月11日
問合せ先 鹿児島県鹿屋市串良町岡崎二〇八一番地
串良総合支所内 住民サービス課
(0994-63-3112)