第三編 顕彰譜

国分特攻基地の碑 特攻機発進之地碑 国分特攻基地の碑 特攻機発進之地碑

全景

由来記
国分基地は昭和18年出水空分遣隊として設けられ、昭和19年8月国分海軍航空隊となった。昭和20年に入って第五航空艦隊の基地を束ねる九州空の傘下に入り、天一号航空決戦の特攻基地となった。
3月18日菊水部隊彗星隊(彗星・爆戦)が九州南東海面の敵機動部隊に突入したのを先陣として、第3御楯隊の二五二部隊、六〇一部隊(彗星・爆戦)のそれぞれ4回にわたる出撃に加え、さらに第二〇一部隊の彗星隊と零戦隊及び第2菊水彗星隊が、この基地から沖縄周辺の敵艦船に突入散華していった。
この碑はこの基地出撃の二百余名の特攻隊員の慰霊と平和祈念のため、昭和39年国分市、自衛隊、一般有志の募金と陸上自衛隊国分部隊の労力奉仕によって旧戦闘指揮所跡に建立されたものである。
慰霊祭は毎年4月22日近くの日曜日の午前に行われている。

 

特攻碑

所在地 鹿児島県霧島市国分福島二-四-一四 陸上自衛隊前
建立 昭和39年8月15日
問合せ先 霧島市国分中央三-四五ー一
霧島市役所総務課
(0995-45-5111)