第三編 顕彰譜

十三塚原特攻基地の碑(第二国分) 特攻の碑 十三塚原特攻基地の碑(第二国分) 特攻の碑

十三塚原(国分第2)

 

由来記
第二国分基地(十三塚原)は現在鹿児島空港となっている。
この基地は第五航空艦隊の基地を束ねる九州空の傘下にあった。昭和20年3月18日米機動部隊が九州南東海面に出現するや、菊水部隊彗星隊(彗星・零戦)が編成され、第一国分基地の双方から出撃したのを先陣として、天一号航空決戦間、第一から第四の正統隊(九九艦爆、百里空)第一と第三の八幡護皇隊艦爆隊(宇佐空)、第一と第三草薙隊(名古屋空)が続々と出撃し、沖縄周辺の米艦船に猛攻を加え、多大の戦果を挙げて散華していった。
これら特攻隊員の慰霊と偉勲を顕彰するため、昭和54年地元の溝辺町長が中心となり、関係有志の協力によりこの碑が基地跡地に建立された。碑は南の空を仰ぐ海軍少年飛行兵のブロンズ像と、基地出撃特攻隊員の銘碑から成っている。
慰霊祭は毎年4月22日近くの日曜日の午後(国分第一の慰霊祭の午後)に行われている。

 

所在地 鹿児島県霧島市溝辺町上床公園(現鹿児島空港近傍)
建立 昭和54年4月6日
問合せ先 霧島市溝辺町麓三三九一
霧島市役所溝部総合支所 地域振興課
(0995-59-3115)