第三編 顕彰譜

宮崎特攻基地の碑 鎮魂之碑 宮崎特攻基地の碑 鎮魂之碑

鎮魂碑

由来記
宮崎海軍航空隊は昭和18年12月陸攻機練習部隊として開隊したが、昭和19年8月宮城県松島基地に移り、その後この基地は陸海軍の作戦基地として重要な役割を果たした。
昭和20年3月21日菊水部隊銀河隊の一部がこの基地より出撃し、九州南東海面の米機動部隊に特攻攻撃を敢行したのを皮切りに、3月27日第一銀河隊、3月27日および29日に第二菊水彗星隊、4月2日第二銀河隊、4月3日第三銀河隊、4月7日第四銀河隊及び第三御楯七〇六部隊(銀河)、4月11日第五銀河隊、4月16日第六銀河隊、5月11日第九銀河隊、5月25日第一〇銀河隊が続々と沖縄周辺および喜界島南方の米艦船部隊に突入していった。総計55機一五二名である。
昭和58年基地生存者・遺族・県内関係32団体の協賛により慰霊碑建設期成同盟会(会長増田吉郎氏)が結成され、特攻隊員のはじめとする戦没者、空襲犠牲者、航空大学校殉職者の慰霊と基地史実の伝承を祈念して現宮崎空港外側(基地跡地)にこの碑を建立し、その左側に観音堂を安置した。慰霊祭は毎年4月の第一日曜日を基準にとり行われている。

 

跡地之碑

所在地 宮崎県宮崎市赤江 宮崎空港脇
建立 昭和58年1月13日
問合せ先 宮崎市大字恒久五七九九
宮崎県特攻基地慰霊碑奉賛会
宮崎市橘通西一-一-一
宮崎市福祉部福祉総務課
(0985-21-1754)