第三編 顕彰譜

指宿特攻基地の碑 指宿海軍航空基地哀惜の碑 指宿特攻基地の碑 指宿海軍航空基地哀惜の碑

指宿基地哀惜の碑

 

由来記
米軍の沖縄上陸作戦が開始されるや、天一号航空決戦下となり、九州最南端の指宿は水上機特攻基地となった。昭和20年4月29日、琴平水心隊(詫間空)39名が零式水偵、九四水偵により出撃した後、第12航空戦隊二座水偵隊(天草空)16名、琴平水偵隊(福山空)9名、第一魁隊(北浦空)23名、第二魁隊(鹿島空)8名計95名が続いて出撃していった。
本基地は本来対潜作戦を目的としていたが、日本唯一の水上機特攻基地として戦史にその名を留めている。
碑は指宿基地生存有志により、旧基地跡の通信室壕上に昭和46年5月に建立され、水上機特攻隊員と基地戦没者の部隊・氏名を刻み、その冥福を祈っている。
毎年5月27日(海軍記念日)に慰霊祭を行っている。

 

所在地 鹿児島県指宿市市田良浜指宿基地跡
建立  昭和46年5月27日
問合せ先 指宿市十町二四二四
指宿市社会福祉協議会内 哀惜の碑顕彰会
(0993-22-5543)