由来記
昭和19年10月15日、比島に赴任した第一航空艦隊司令長官大西中将が体当たり攻撃の特攻戦法の採用を決断し、第一神風特別攻撃隊を編成し、10月21日大和隊が先陣となって出撃以後二、五二五名、一、四〇六機が終戦に到るまで、身を弾丸とし祖国の安泰を願って散華していった。
特攻隊員の崇高な精神、祖国愛、偉大な戦勲を慰霊顕彰するため、長野県神風特別攻撃隊遺族会(会長若麻績栄氏)が、昭和36年4月にこの碑を建立して、碑の趣旨のほか、自刃した大西中将の遺書をこれに嵌めこんである。
さらに昭和38年7月には長野県神風特別攻撃隊員銘碑も建立され、隊碑の右側に併置されている。
所在地 長野県長野市善光寺
建立 昭和36年4月
(銘碑)38年7月
問合せ先 長野市元善町四九一
善光寺事務局
(0262-34-3591)